編集長コラム「金曜日から」 編集長のコラムを公開しています。

戦後、日本は「平和・民主主義」と「経済復興」の両輪でスタートした。だが今や、前輪は小さくなるばかりだ。正常に戻すには平和憲法が欠かせない。

 イラクのアフガニスタンのルワンダの、静まり返った瞳をもつ子どもたちの写真を見た夜、公園の電灯下でキャッチボールする親子を見かけた。そこに平和憲法がある。

 一九四五年、日本は焦土の中、「平和・民主主義」と「経済復興」の両輪でスタートした。天皇制のもとでの海外侵略、人権侵害を猛省し、二度と戦争はしないと誓った。そのうえで、経済建て直しにすべての市民が立ち上がった。
 
 だが、いつしか後者だけが肥大化し、結果としてこの国は蛇行し始めた。気付いたら、「経済復興」は「経済大国化」と変質し、エコノミックアニマルのアジア侵略が多くの国から批判された。さらには、膨張する軍事費が象徴するように「富国強兵路線」が顕在化し、ますます右へ右へと旋回している。
 
 このような状況を見たとき、いますべきは、「平和・民主主義」の車輪を大きくし、バランスをとることでしかない。でなければ、戦争への反省に基づき、新らしい日本をつくってきた先人の努力を無にする。そして、その基盤が憲法にあるのはいうまでもない。
 
 私なりに、これは正論と思っていた。だが最近の、憲法に関する世論調査結果を知り愕然とした。たとえば20日付け「毎日新聞」。改憲派は59%と半数を超えた。また、改憲派の中で「九条は変更して自衛隊を持つことを明記すべきだ」という回答が57%に達したという。朝鮮戦争時に「軍備論」が高まったといわれるが、少なくとも70年代以降、憲法改正派が過半数になった調査結果を私は知らない。でも裏を返せば、まだ半数だ。あきらめまい。

「テロに屈しない」といきがったり、真の人道援助のためイラクに入った若者に対し、「自己責任」などといいがかりをつけたみなさん、そんなに平和が嫌いなら、どうぞ勝手に自分で戦地に行ってください。ただ、決して公園の親子を巻き込むようなことはしないように。憲法を大切にしている私たちを道連れにしないように。

 どんなに青臭いと言われても、こどもっぽいとバカにされても、私は確信している。「正義は必ず勝つ」と。(北村肇)

「週刊文春」の差し止め問題で思うのは、「報道の行き過ぎによる危険よりも、沈黙による危険のほうがはるかに大きい」ということ。イラク報道ではどうだ。

「週刊文春」の差し止め問題が起きたとき、たまたまノートに書き留めておいた言葉を思い出した。

「言論、報道は自由であればあるほどいい。行き過ぎや弊害は対処の仕方があります。五・一五事件の教訓から考えても、行き過ぎによる危険よりも、沈黙による危険のほうがはるかに大きいのであります」

 五・一五事件で軍の若手将校らに殺害された犬養毅首相(当時)の孫、康彦氏の講演をまとめた冊子からの引用だ。事件後、マスコミは内務省の指示により、まさに沈黙を強いられ、結果として犯人は愛国者扱いされる。そして、日本は戦争に突き進んでいくのである。 
 
 五・一五事件が起きたのは、軍部が中国大陸への侵攻を本格化していた1932年。クーデターをもくろんだとされる海軍将校ら9人が首相公邸に乱入、軍事侵攻に消極的だった首相を射殺。「話せばわかる」という犬養氏の言葉は歴史に残った。

 翌16日付け朝刊では「犬養首相逝去」という見出しは踊ったものの、詳しい事実関係が報じられることはなかった。そして信じられないことに、時の首相がテロに倒れるという大事件にもかかわらず、同日の夕刊以降、新聞各紙から関連記事は姿を消してしまう。内務省警保局から報道禁止の通達が出されたからだ。

 解禁が解けたのは翌33年5月。その日、軍部から「五・一五事件の全容」が公表され、新聞は事実関係のみを伝えた。メディアの論評がなければ、陸軍大臣らの「この青年たちの心情は、国を憂える誠実なもの」という談話だけが一人歩きする。減刑嘆願の動きが広がり、最終的に被告に下された判決は、最高でも禁固15年という軽いものだった。軍部の狙い通りになったのである。

 メディアが沈黙する中で、敢然として軍に立ち向かったジャーナリストがいた。福岡日々新聞(現西日本新聞)の主筆、菊竹六鼓。唯一、軍部批判の社説を書き続けたのである。事件翌日の夕刊では「陸海軍の不貞なる一団」との表現を使い、暴走する軍部に警鐘を鳴らした。

 むろん、「週刊文春」と六鼓を同一に論じようというのではない。そもそも、問題になった記事は「反権力」の姿勢に立ったものではないし、公共性も公益性もないと思う。だが昨今の流れを見ていると、政治的検閲がいつメディアを襲ってもおかしくない時代になったと感じざるをえない。

 一方、イラク報道ではすでに、自己規制や、露骨に政府の意向を後押しするメディアが目立つ。誘拐された人たちの「自己責任」報道などは典型だ。自衛隊のイラク派兵が失政であることを、ものの見事に隠し通した。また犯人グループに脅されている写真の件もそうだった。ほとんどの新聞、テレビが「家族の心情を慮って」として報道しなかった。家族は「報じて欲しい」と訴えていたのだから、そんなことは成り立たない。要は、ことをあまり深刻に見せたくない政府の思惑に乗っただけだ。

 大本営発表がまかり通る時代を迎え、自分は六鼓になれるのか、日々問いかけている。 (北村肇)

イラクの邦人誘拐事件はだれがもたらしたのか。張本人の非道な権力者は、まるで駄々っ子のように「自衛隊の撤退はしない」と繰り返す。

 空を見上げたい衝動にかられた。視野の中に青い空間と一刷けの雲だけを収めたい。情緒に浸る余裕のないことはわかっている。それでもなお、この空はイラクでも変わらないことを実感したかった。
 
 最初に誘拐された邦人三人は解放された。脱力感のような安堵が体中に広がる。ただひたすら「よかった」という思いだ。だがまだ二人の消息がわからない。不安が解消されたわけではない。

 権力に追いつめられた人間が、本来の仲間を傷付ける。歴史にはつきものと言われればそれまでだが、あまりに酷く虚しい。三人を誘拐したグループのメッセージはこう伝えた。「我々イスラム教のイラク国民は、あなたたちと友好関係にあり尊敬もしている。しかし、あなたたちはこの友好関係に対し、敵意を返してきた」。

 そう、これまで日本は、一貫してイラクと信頼関係を築いてきた。イラン・イラク戦争後も、湾岸戦争後も、民間企業を中心に経済復興に力を注いできた。第一次世界大戦期、オスマン帝国解体の過程で帝国内の州をまとめてイラクをつくり統治しようとした英国や、湾岸戦争でイラクを「裏切った」とされる米国とは、イラク側の受け止め方が違うのだ。

 なのに日本は「敵意を返した」。その張本人の第一声は、「自衛隊は撤退しない」だった。イラク支援に向かった市民を人質にとるという卑劣な犯行は、いかなる大義名分があっても許せない。が、人命の問題にもかかわらず、間髪をいれず要求をはねのける小泉首相の対応には絶句した。「人命は地球より重い」と言ったのは、福田赳夫元首相ではなかったか。その下で修行した小泉首相は、面会を求めた三人の家族に会うことすらなかった。
 
 政府も与党も、あげくのはては民主党までが「(犯人グループの)要求に屈して撤退すべきではない」と繰り返した。イラクに非戦闘地域がないことは、もはやだれの目にも明らかだ。当然、自衛隊は撤兵しなくてはならない。しかし、こんな当たり前のことも、聞き耳を持たない政治家・官僚の前では意味をもたなくなっている。しかもほとんどの大手メディアはそれを批判しようとせず、むしろ煽り立てる新聞すらあった。中には、被害者の三人を中傷する記事を掲載した週刊誌まであった。許せない。

 ならば市民が立ち上がるしかないと、NGOがさまざまな運動を展開した。まさに「親(国)貧しうて孝子(市民)出ず」だ。政府は「(自衛隊撤退を拒否した)毅然とした対応が事件を解決に導いた」ように自画自賛するが、それは違う。最も力を発揮したのは、三人の救出のために奮いたった無数の市民だ。 

 空は、たった一つの地球と、そこに住む生きとし生ける者を、等しく暖かく包み込む。多くの市井の民には、その真理が実感できる。だが非道な権力者には見えない。だから、覇権国家にただ追従することになるのだ。

 イラクはもはやベトナム化している。自衛隊撤兵は当然のことである。(北村肇)

夫婦別姓制度は今度も陽の目が見られそうにない。これは、時代錯誤であるのはもちろん、紛れもなく有事法制につながる発想である。

 もう、うんざりだ。夫婦別姓制度がまた「お蔵入り」になりそうという。法案に反対する議員の時代錯誤ぶりには、怒りを通り越してあきれるしかない。

 法案は、自民党の有志でつくる「例外的に夫婦の別姓を実現させる会」(会長・笹川尭衆院議員)が中心になってまとめた。その名の通り「例外的に」で、「職業生活上の事情」や「祖先の祭祀の主宰」などの理由がある場合に限り、家裁の許可を得て別姓が認められる、となっている。

 法相の諮問機関である法制審議会が96年2月に、選択的夫婦別姓制度の導入を答申して以来、何度か論議されたものの、そのつど自民党の強硬派の反対でつぶされた。結果、今度の法案は、別姓へのハードルがかなり高い内容となった。「何とか通そう」という苦肉の策だったのだろうが、現実を考えれば、当然、別姓を原則にすべきであり、極めて不満が残る法案である。

  だが、こんな「甘い」法案に対しても、自民党法務部会で異論が続出した。報道によれば、「国家解体運動だ」「家族制度の崩壊につながる」などの声も飛んだという。どんな顔をして、このような破廉恥な発言をしたのか、想像するだけで気分が悪い。

 同姓制度は、つまるところ「家に嫁ぐ」という考え方の延長線上にある。これが女性差別、家柄差別であるのは言うまでもないが、他にも見逃せない点がある。

 自民党の安倍晋三幹事長は「国の根幹にかかわること」と発言した。「国民管理の強化」のためには、家制度の堅持が欠かせない、ということなのだろう。紛れもなく有事法制につながる発想である。 (北村肇)

イラク戦争反対運動への不当弾圧には満腔の怒りを禁じ得ない。今や日本は、「暴君のいない恐怖政治」に陥っている。

 突然、雨に降られ、たまたま近くのマンション玄関で雨宿りしていたら、住居侵入で逮捕された。アルバイトで、レストランのチラシを配っていたら、警察に連行された。普通、こんなことはありえない。だが、特殊なケースでは起こりうる。それは、捜査当局に「目をつけられた」場合だ。
 
 以前から、ヤクザや過激派は微罪で逮捕されたうえ、長期間の勾留を受けてきた。オウム真理教の信者もそうだった。しかし、このような捜査を許しておくわけにはいかない。職業や主義・主張によって、その人間を立件するかどうか決めるのは、明らかに法の下の平等を無視した暴挙だ。しかも、ほとんどの場合、「別件逮捕」の意味合いが強く、これは明確に違法である。

 だが、捜査当局への批判の声はあまり聞かれない。一般的な市民感覚が、「ヤクザやオウムでは、やむをえない」と許してきたのも事実なのだ。

 東京都立川市で、「イラク派兵反対」のビラを配っていた人たちが逮捕、勾留された。常識的には考えられないことだ。まさに「当局に目をつけられていた」のであり、政治的意図は明白だ。満腔の怒りに震える。

 ここまで恣意的な捜査がまかり通るようでは、もはや民主国家とは言えない。戦前も、「反国家的」とみなされた個人や組織が次々と不当弾圧を受けた。その結果、言論の自由は失われ、日本は悲惨な歴史に突入していく。同様の危機感を覚える人も多い。

 だがひょっとすると、事態はさらに深刻かもしれない。大日本帝国には「天皇制」という柱があり、弾圧はもっぱら「不敬罪」に基づいていた。むろん軍部の独走という面を無視はできないが、「天皇制」が崩壊すれば、民主国家に生まれ変わる素地はあったと言えよう。

 しかし今の日本には、当時のような絶対権力を顕現するものがない。いわば、「暴君のいない恐怖政治」に陥っている。これは厄介である。民主勢力は、目に見えない敵と戦わなければならないからだ。そして最大の悲劇は、考えたくもないことだが、「暴君」の素顔が大衆であったときだ。(北村肇)