編集長コラム「金曜日から」 編集長のコラムを公開しています。

イラクの邦人誘拐事件はだれがもたらしたのか。張本人の非道な権力者は、まるで駄々っ子のように「自衛隊の撤退はしない」と繰り返す。

 空を見上げたい衝動にかられた。視野の中に青い空間と一刷けの雲だけを収めたい。情緒に浸る余裕のないことはわかっている。それでもなお、この空はイラクでも変わらないことを実感したかった。
 
 最初に誘拐された邦人三人は解放された。脱力感のような安堵が体中に広がる。ただひたすら「よかった」という思いだ。だがまだ二人の消息がわからない。不安が解消されたわけではない。

 権力に追いつめられた人間が、本来の仲間を傷付ける。歴史にはつきものと言われればそれまでだが、あまりに酷く虚しい。三人を誘拐したグループのメッセージはこう伝えた。「我々イスラム教のイラク国民は、あなたたちと友好関係にあり尊敬もしている。しかし、あなたたちはこの友好関係に対し、敵意を返してきた」。

 そう、これまで日本は、一貫してイラクと信頼関係を築いてきた。イラン・イラク戦争後も、湾岸戦争後も、民間企業を中心に経済復興に力を注いできた。第一次世界大戦期、オスマン帝国解体の過程で帝国内の州をまとめてイラクをつくり統治しようとした英国や、湾岸戦争でイラクを「裏切った」とされる米国とは、イラク側の受け止め方が違うのだ。

 なのに日本は「敵意を返した」。その張本人の第一声は、「自衛隊は撤退しない」だった。イラク支援に向かった市民を人質にとるという卑劣な犯行は、いかなる大義名分があっても許せない。が、人命の問題にもかかわらず、間髪をいれず要求をはねのける小泉首相の対応には絶句した。「人命は地球より重い」と言ったのは、福田赳夫元首相ではなかったか。その下で修行した小泉首相は、面会を求めた三人の家族に会うことすらなかった。
 
 政府も与党も、あげくのはては民主党までが「(犯人グループの)要求に屈して撤退すべきではない」と繰り返した。イラクに非戦闘地域がないことは、もはやだれの目にも明らかだ。当然、自衛隊は撤兵しなくてはならない。しかし、こんな当たり前のことも、聞き耳を持たない政治家・官僚の前では意味をもたなくなっている。しかもほとんどの大手メディアはそれを批判しようとせず、むしろ煽り立てる新聞すらあった。中には、被害者の三人を中傷する記事を掲載した週刊誌まであった。許せない。

 ならば市民が立ち上がるしかないと、NGOがさまざまな運動を展開した。まさに「親(国)貧しうて孝子(市民)出ず」だ。政府は「(自衛隊撤退を拒否した)毅然とした対応が事件を解決に導いた」ように自画自賛するが、それは違う。最も力を発揮したのは、三人の救出のために奮いたった無数の市民だ。 

 空は、たった一つの地球と、そこに住む生きとし生ける者を、等しく暖かく包み込む。多くの市井の民には、その真理が実感できる。だが非道な権力者には見えない。だから、覇権国家にただ追従することになるのだ。

 イラクはもはやベトナム化している。自衛隊撤兵は当然のことである。(北村肇)