編集長コラム「金曜日から」 編集長のコラムを公開しています。

福島第一原子力発電所の事故を見ていて、炭鉱が閉山していった歴史が脳裏に浮かんだ

編集長後記

 今回の東京電力福島第一原子力発電所の事故を見ていて、炭鉱が閉山していった歴史が脳裏に浮かんだ。

 国内で最後まで営業生産していた炭鉱は北海道釧路市の太平洋炭砿。その前は長崎県池島町の池島炭鉱だ。私は炭鉱の閉山を見届けたくてたまらず、長崎に行って池島を連日うろつき、炭鉱労働者たちに話を聞き、写真を撮った。

 なぜ炭鉱が止まったか。表向きは、炭鉱事故で死者が出過ぎたからだ。死者が出るような危険な職場を現代日本は放置しておくことはできない――。だが、ここには国家と財界の冷徹な論理が存在していたはずだ。石炭は火力発電に使用される。石炭を止めれば電力は激減する。だから炭鉱閉山の前提として、海外からの石炭入手の確保と、代替エネルギーの安定供給が必須だ。そうして炭鉱事故のリスクは発展途上国に押しつけられ(今もそうだ)、原子力のリスクは正面から引き受けた。

 これを考えれば、原子力の代替が火力でもないことは当然だ。電力も腹八分目でいいじゃないか。 (平井康嗣)

日曜日の午後、ようやく第五福竜丸展示館を訪れることができた。

編集長後記

 日曜日の午後、ようやく第五福竜丸展示館を訪れることができた。東京には夢の島公園という場所があり、今熱帯植物館やヨットが駐留するマリーナなどがある。ここは巨大なゴミ捨て場だった。つけられた名前が夢の島だというのだから、日本人は表現の自由を多いに満喫している。公園はずれの森には隠れるように黒い建物がたたずんでいる。中には一九五四年三月一日に、太平洋のビキニ環礁で米国の水爆ブラボーの実験によって、放射能汚染された珊瑚の粉=死の灰を浴びた木造マグロ漁船第五福竜丸が展示されている。マグロを供養する石塚も、展示館の脇に設置されている。マグロから放射能が次々に検出されて四五七トンが廃棄、築地市場の地中にも埋められたことの慰霊だ。この年にはスクリーンに水爆怪獣ゴジラが生まれ、衆議院では原発の研究予算が初めて通過、原子力の獣道を日本は歩み始めた。映画『わが友原子力』を制作したウォルト・ディズニーの遊園地からも電車で七分。連休にでも立ち寄られてはいかが。 (平井康嗣)

ほとんどのメディアが企業広告に支えられている。

編集長後記

 ほとんどのメディアが企業広告に支えられている。広告も情報などと言う輩もいるが、言論にとって広告費は、時にウランやプルトニウムである。一見「効率的」「安定的」だが、言論を侵蝕する猛毒だ。『週刊金曜日』を原子力によって動かすつもりはない。今週号では電力会社のPRマネーを食ってきた人、原子力を推進してきた人を批判した。ただ異論を承知で言うならば原発の危険性を認識して原子力推進を公言してきた一部の輩の理屈は通っている。在日米軍や死刑制度への賛成論と同様、到底受け容れられないが、理屈の先に横たわる価値観こそ問題視したい。一方で原発は安全・クリーンと発言したり、リスクから目をそらしたり、それ以前にリスクに気づかないで、原発神話に加担してきた連中は情報発信者として構造的に重大な欠陥を抱えている。あなたの感性や、放射線のように可視化困難な言説は今後も社会に深刻なリスクを拡散させていくだろう。無責任な言論活動をした輩は早く運転を停止していただきたい。危なすぎる。(平井康嗣)

自分はどうでもいいけれど、子どもだけはなんとか守りたい。

編集長後記

 自分はどうでもいいけれど、子どもだけはなんとか守りたい。ほとんどの親や大人は直感的にそう願うだろうと、私は思っています。子どもは自分では食べ物を買えないし、選ぶこともできません。親が大丈夫だと言えば食べます。

 友人にジャンクフード好きな男がおりました。子どもが生まれるやいなや、大丈夫な野菜とかってどうやって手に入れるのか、と聞いてきました。市場で流通している食品の多くに食品添加物や着色料、保存料が含まれています。もちろん一生摂取しても安全であるという量しか使われていないはずです。私も食べています。それでも親になると、子どものためにできるだけ添加物入りの食品を避けます。
 
 それを見越してか、貧しい家庭では買えないような割高な飲食品が赤ちゃん市場では肥大し続けています。識者が基準値以下と言おうが、このような現代日本では、放射性物質が検出された食物を安心だと与える親は希でしょう。大人にとっての風評被害とは違う話なのです。原発事故の罪は重い。     (平井康嗣)

ニッポン、がんばれっ! という人たちの善意や好意は、人としての無意識の反射神経ってそんなものだろうと受け止めている。

編集長後記 

 ニッポン、がんばれっ! という人たちの善意や好意は、人としての無意識の反射神経ってそんなものだろうと受け止めている。しかし、それを受けての日本復活だとかいう煽りには違和感を感じる。しつこいようですが。みなさんはどんな日本を復活したいのですか。戻りたいのですか。

 以前取材した新潟県中越地震の旧山古志村のひとびとを思い出す。地震で大きく抉れた山に人々は土を盛り、人工的に山を再生し家を建てて住んだ。これが {復興}。農村部は土地への想いが強い。墓もある。自分の代で土地を捨てる罪の意識は重い。人はともかくどこかへ帰らなければという気持ちがあるようだ。東京の三月一一日。家に帰ろうと黙々と、何時間も歩く会社員たちの何十キロメートルも続く群れ。私には帰るという本能をむきだした動物に見えた。今週号では秋葉原殺傷事件を特集している。私たちが日常生活と呼んでいた時代に加藤被告は秋葉原に向かった。彼はどこに帰ろうとしたのか。彼にとっての「被災」と帰り場所を、ふと思う。
(平井康嗣)