編集長コラム「金曜日から」 編集長のコラムを公開しています。

鈴木邦男さんと坂本龍一さんの二回目の対談を掲載した。

編集長後記

 今週号は鈴木邦男さんと坂本龍一さんの二回目の対談を掲載した。参院選投開票日、都内で五時間以上、意見交換し、いずれ本になる予定だ。

 今回掲載された話で私が反芻した言葉は、〈「賊軍」の人たちがたくさんキリスト教に入ってますよね。自分たちは「神のもとでは平等」だということ〉という鈴木さんの発言だ。坂本さんはそれを「個」が確立していないという受け止め方をしており、偶然にも特集でしばき隊の野間易通さんも「個」に触れている。

 ただ、私は「個」の前に「神」を考えたいと思った。対人的、社会的に不満足であるほど人は超人的な象徴や場を求め、依存するように見える。アイドルしかりスポーツ選手しかり。そもそもキャラクター好きの日本人は「神」を産み出すのが異常に好きだ。しかし、一時的な逃避行動は否定しえないが、それを利用する輩もいる。もっと深いレベルでの絶望や不遇は、生活を破壊するレベルでの依存を呼びこむ。一方で反原発や護憲も思考停止になっていないのか、内省したい。 (平井康嗣)

かつて私は一年弱、父の経営するアルミ加工工場で働いていた

編集長後記

 かつて私は一年弱、父の経営するアルミ加工工場で働いていたが、倒産するまでの数年間、知的障がいのある溶接工の梅田くん(仮名)が働いていた。大雑把な父は東京都に就職の相談をされて二つ返事で引き受け、息子の将来を案じる梅田くんの両親にも感謝されていたようだった。バブル崩壊後、工場が江戸川から茨城県に縮小移転したとき、東京の工員が転勤を拒む中、梅田くんは「おれ社長についていく」と来てくれた。ありがたかった。工場裏の平屋に単身赴任で住んでいたが、梅田くんはコメ炊いてと言われると、洗剤でコメを洗った。給料日には同僚たちに連れられ、水戸の大工町で有り金全部を風俗に使わされて腰が抜けちゃったと嬉しそうに話していた。暴走族上がりの兼業農家工員たちはかまってあげていたつもりなのだろう。私も兄貴分として目を光らせていたが、留守にすると現場の気分次第でオモチャになった。

 障害者差別解消法の環境から差別を無くす手法が善意ではない人の心にまで届いてくれればと思う。(平井康嗣) かつて私は一年弱、父の経営するアルミ加工工場で働いていたが、倒産するまでの数年間、知的障がいのある溶接工の梅田くん(仮名)が働いていた。大雑把な父は東京都に就職の相談をされて二つ返事で引き受け、息子の将来を案じる梅田くんの両親にも感謝されていたようだった。バブル崩壊後、工場が江戸川から茨城県に縮小移転したとき、東京の工員が転勤を拒む中、梅田くんは「おれ社長についていく」と来てくれた。ありがたかった。工場裏の平屋に単身赴任で住んでいたが、梅田くんはコメ炊いてと言われると、洗剤でコメを洗った。給料日には同僚たちに連れられ、水戸の大工町で有り金全部を風俗に使わされて腰が抜けちゃったと嬉しそうに話していた。暴走族上がりの兼業農家工員たちはかまってあげていたつもりなのだろう。私も兄貴分として目を光らせていたが、留守にすると現場の気分次第でオモチャになった。

 障害者差別解消法の環境から差別を無くす手法が善意ではない人の心にまで届いてくれればと思う。(平井康嗣)

安保法制懇の座長である柳井俊二元駐米大使が、集団的自衛権の解釈変更を示唆した

編集長後記

〈4日のNHK番組で「今までの政府見解は狭すぎて、憲法が禁止していないことまで自制している」と指摘。「集団的自衛権の行使は憲法上許されている。国連の集団安全保障への参加は日本の責務だ」と述べた。〉(八月五日『朝日新聞』デジタル版)

 安保法制懇の座長である柳井俊二元駐米大使が、集団的自衛権の解釈変更を示唆したが、この引用された柳井氏の発言は手前勝手すぎないか。
「集団的自衛権は、憲章五三条による拘束を受けずに、地域的取極にもとづく相互援助義務を発動することをめざしてもちだされたもの」(田畑茂二郎『国際法新講・下』)だ。

 常任理事国(英米仏中露)が攻撃国である場合、国連の集団安全保障が拒否権により発動できなくなる。この国連加盟国内の「ねじれ」を脱するために国連憲章に事前に仕込まれたのが集団的自衛権という妥協の産物であり、憲章や憲法を骨抜きにする概念である。国際人権後進国として悪名高い日本政府が都合良く国連憲章を持ち出さないでもらいたいものだ。 (平井康嗣)

『テラフォーマーズ』はキモいゴキブリとヒトとの闘いを描いている。

編集長後記

「この漫画がすごい2013」オトコ編で一位になった『テラフォーマーズ』は火星で進化を遂げたキモいゴキブリとヒトとの闘いを描いている。容赦なくヒトを殺戮するゴキブリの意思を理解しかねる登場人物は、ゴキブリは俺たちのことを怖れているのではなく、嫌っているのでは。駆除されるのは俺達だ、と呟く。

 この国の首相は日本国憲法をたいして読んでもいないようなのにともかく改正と言う。それは怖れか。案の定、自民党の憲法改正草案は超論理的、超憲法的な仕上がりになった。日本を愛していると思いこんでいるおっさんが寿司をつくろうとして自慢気に並べたのがカリフォルニアロールだったという衝撃だ。米大統領の口にも合うようにつくる“愛国者”ぶりも見せた。

 ともかく権力者は自らが暴走しない仕組みを心がけるべきだ。それが憲法をつくる意味だ。しかし少しでも気にくわないとフェイスブックで攻撃する首相に自制する意思を求めるのは酷だ。首相の将来のためにも憲法改正の棚上げをお薦めする。 (平井康嗣)