編集長コラム「金曜日から」 編集長のコラムを公開しています。

特集の「ぶざまな菅政権」とは、辛辣な表現である。

編集長後記

 特集の「ぶざまな菅政権」とは、辛辣な表現である。しかしながら、菅政権になって以降、民主党政権には感心しないことばかりなのだから、しょうがないだろう。
 ただ、柳田法相の傲慢な失言や仙谷官房長官の“知性” を垣間見た暴力装置発言などでああだこうだとバカ騒ぎをするつもりはない。野党やメディアに便乗すれば“予算委員会無駄遣い罪”の共犯になるだけだ。彼らの習性としてともかく “クビ”をとるまでしつこく追及を続ける。次は任命責任者の「何もせん菅ナオト」か、官房長官か。蒸し返すが、予算委員会では本筋ならば防衛大綱や八ッ場ダムなどの大きな政策や予算についてこそ大いに議論されるべきである。
 さて民主党が国会運営に苦しむ中、急浮上しているのが民公連立の噂だ。先週号で掲載した井上義久公明党幹事長インタビューを精読しても、民主と組むことは十分ありうる。両党とも沖縄知事選でも実質的に現職支持とみえる。永田町よりも沖縄が気になってくる。    (平井康嗣)

一一月二八日の沖縄県知事選投開票が迫った。

編集長後記

 一一月二八日の沖縄県知事選投開票が迫った。自公が応援する仲井眞弘多氏と、社共社大が応援する伊波洋一氏の事実上の一騎打ちである。私や読者の多くが、この知事選を歴史的結節点の一つとして見守っている。そう思っているが、先日、地方のマスコミ関係者と話していて愕然とした。沖縄県知事選と表紙にあっても、読もうと思わないと言うのだ。その人にとって沖縄は、まずはリゾートという記号だと。おかしいのかもしれないが、と付け加えて語った。
 確かに私も偉そうには言えない。日々、沖縄はじめ政治や事件の情報を浴び、議論をし、調査をしているから必然的に関心事項に上がってきたわけだ。かつて大学のゼミで沖縄出身だという学生が、本土による差別という報告をしたときに、恥ずかしながらしたたか衝撃を受けた。 
 翻って、ではあの普天間移設の連日の報道はなんだったのだろう。結局は本土の関心は、首相の進退だけだったのか。最近の対中問題始め、本土中心の偏狭なナショナリズムの浸透を感じる。(平井康嗣)

中央政治エリートによる沖縄に対する構造的差別

編集長後記

 今週は佐藤優氏の責任編集による特集を“編集” し、中央政治エリートによる沖縄に対する構造的差別を扱った。特集を組んだ理由は無論、一一月二八日に沖縄県知事選挙の投開票があるからだ。新米軍基地建設を政府に断念させる候補が当選すれば、沖縄、そして対米関係は、戦後これまでになく大きく変わる。
 現在、候補予定者である仲井眞弘多現知事と伊波洋一前宜野湾市長は県外移設を明言している。しかし、その公約が当選後そのまま実現されるとは限らない。先の民主党代表選では政権公約を守ると繰り返した小沢一郎氏はマニフェスト至上主義と大手新聞らに批判され、修正した菅直人代表が現実的として擁護された。メディアは権力の監視機関である。しかし、対米追従と小沢憎しで言論という唯一の魂を失ったメディアが多い。それゆえ、先日も八ッ場ダム中止というマニフェストも馬淵澄夫国交相により撤回されたが、今後、メディアの追及は弱いのではないかと推測する。本誌では二週続けて沖縄を特集する。  (平井康嗣)

いじめや児童虐待のニュースは怒りと悲しさを覚える。

編集長後記

 いじめや児童虐待のニュースは怒りと悲しさを覚える。
 一〇月初め、義父が他界したため、妻の実家の札幌に行った。通夜を待つ義父が家で寝ていたので、元気をもてあます三歳の娘を連れて近所の公園に出かけた。人なつっこい娘は幼い姉弟二人がぶらついているのを見つけてすぐに遊び始めた。ぼくはそれを一歳の息子を抱きながら遠目に眺めていたが、そのうち娘が抱き上げろというので参加する羽目になった。するとその姉弟も自分もと甘えてくる。しょうがないので不審者に思われない程度に遊んだ。気づいていたが、その二人は、御飯代わりかチョコ菓子を頻繁に食べ、前歯は全部虫歯だった。携帯電話で家に電話しているので、見せてもらうと案の定、通話不可能の使い古し。母親らしい若い茶髪の女性のプリクラのシールが何枚も貼られていた。お父さんはいないと言う。帰り際、姉弟が家に来ようとして困惑した。
 小さな子どもは何をされようとも親を信じるものだ。その重みを親は受けとめなければならない。  (平井康嗣)