編集長コラム「金曜日から」 編集長のコラムを公開しています。

自民党は与党というメッキがはげかけると、とたんにその本質をさらけ出すようだ。

編集長後記

 自民党は与党というメッキがはげかけると、とたんにその本質をさらけ出すようだ。

 最初に愕然としたのが、民主党に政権交代する直前の中傷ビラだ。二〇〇九年八月、「民主党 これが本性だ!」などというビラを全国で大金をかけてばらまいたが、これでだれが共感するのかと、ビラと政党の質の悪さに唖然とした。結局今は「札」がつくビラをばらまいて、支持率を得ているが。次は昨年四月(野党時代)に作成・発表された憲法改正草案だ。私が指摘するまでもなく、数度に及ぶ改正案にくらべると品格のなさが目につく。日本国憲法というベースがあっての改正案だから、あの程度ですんだが、ゼロから彼らに憲法をつくらせていたら、もっとわかりやすい(とんでもない)ものに仕上がっていただろう。国際社会で日本が恥をかかないためにも草案には反対する。
 さて告知です。おかげさまで一一月二日に『週刊金曜日』二〇周年編集委員講演会を日本教育会館(東京)で開催する運びとなりました。詳細は後日また、です。 (平井康嗣)

知り合いの在日朝鮮人が、怒って電話をかけてくる。

編集長後記

 知り合いの在日朝鮮人(「在日北朝鮮人」ではない)が、このところたびたび怒って電話をかけてくる。

「北朝鮮が日本を攻撃するっていうけど、おれたち(在日)が日本にいるから攻撃するわけがない。(北朝鮮は)日本が攻撃してきたら攻撃をすると言っているのに、その前段をメディアはカットして報道している。意味が全然違う」

 恣意的な報道はいつものことだが、今回、拡散されたのは北朝鮮の若い指導者は負けず嫌いで何をするかわからないという独裁者像だ。確かに映像に見る軍人が取り囲む金正恩氏はいかにも、である。ああイラク、イラン報道に続く既視感。これが「敵性」報道の完成形なのか。国交もない、取材もできない。日本の朝鮮総聯も政治家やメディアに抗議もせずにひたすら沈黙。そうしてますます彼らは正体不明になり、裏取りいらずの叩きやすい存在になっていく。このような国は武力的緊張を適度に求める政治リーダーにとってまことに好都合だ。まるで喜劇のように日本中が騒いでいる。 (平井康嗣)

日本のものづくりを小粒にした要因の一つに、株式市場があるだろう

編集長後記

 日本のものづくりを小粒にした要因の一つに、株式市場があるだろう。一年に四回決算し、そのたびに競って成績発表をする。

 一年を通じ、季節に左右され、不安定な今の農業はそんな市場の理屈が当てはまるのか。以前、葡萄南限の宮崎県都農町を取材した際、土を改良し、樹を変えていくのに、「あと一〇〇年かかるかな」「だな」と農家の人々があっさりと話していた姿に内心、衝撃を覚えた。時間軸が違いすぎる。かりに農業を株式会社にしても株式上場化など、まともな姿ではできないだろう。

 また上場会社は日本のさまざまなくだらない法律も遵守することが求められる。『電通の正体』で取材した当時、広告最大手・電通のベテラン社員は「上場してから会社がつまらなくなった」と話した。理由は時間をかけた仕込みが決算や法令遵守があるためにできなくなったからだという。「以前は何をしているのかわからない社員がいた。そいつが大きな仕事をしたりした」と。私も生涯をかけ、大粒の果実を実らせたいものだ。 (平井康嗣)

「自民党改憲草案徹底批判」シリーズを始めます。

編集長後記

 今週号から「自民党改憲草案徹底批判」シリーズを始めます。なぜ憲法を国家の要に置く立憲主義が存在するのでしょうか。それは国会という “民主主義”の暴走を防ぐためです。選挙で大勝し国会で多数派を占めたとしても、憲法は政治家、共生者である経済界の歯止めとなります。与党政府は法律をつくれても憲法はおいそれと改正できないからです。それが均衡と抑制を常に考える立憲主義なのです。

 しかしそうするとある時代の多数派には憲法が邪魔になります。こうした結果が今です。戦争の痛みを世界中が共有しえていた時代の国際社会の知恵も織り込んだ今の憲法と決別し、日本の特有性を強調して独善的に劣化させたい、となってきました。

 このタイミングで広島高裁(筏津順子裁判長)は「違憲審査権も軽視されている」と国会を批判し、一票の格差訴訟で戦後初の国政選挙無効を言い渡しました。私はこの発言は憲法をないがしろにする今の政治家に向けられていると思いました。到底、自民党草案は呑めません。(平井康嗣)