編集長コラム「金曜日から」 編集長のコラムを公開しています。

暗く冷たい厳冬の先にあるのは、「覚醒」という開花だ

「梅は咲いーたか、桜はまだかいな――」。この時期になると、祖父の、調子っぱずれの歌声を思いだす。梅は梅であって桜ではないのに、年によって異なった風情を漂わせる。いや、それは違うのかもしれない。風情を変えているのは社会であり、私なのだろう。今年の梅は、ほころびかたが心もち派手だ。

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兵器産業に携わる人たちに「想像力」はあるのか

戦艦を描くのが好きだった。戦車や零戦のプラモデルもたくさん作った。割り箸や洗濯ばさみ、輪ゴムを使い、「機関銃」ごっこもした。子どもでは、それも仕方ない。新聞記者になり、自衛隊の観閲式を取材した。轟音をあげ疾駆する戦車に震えた。隣にいた同僚は「近くで見ると、やはりかっこいい」と呟いた。

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「納豆騒動」で考えた、テレビが持つ魔性の力

この間、ねつ造事件が発覚、スポンサーは降り、番組は打ち切り、制作関係者の何人かは責任をとらされた。さらには、同じ番組で別のねつ造があるとか、他の番組もあやしいとか、さまざまな情報が飛び交っている。

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「お手盛り」都知事が末期症状になるのは、当然至極

「お手盛り」の語源は、「自分で好きなだけ食器に飯を盛れる」ことという。考えるべきは、「お手盛りのできる立場の人間は、『飯』の価値がわからない」という矛盾だ。生きるための米一粒が重要な人間にとって、「お手盛り」は遠い世界の話。逆に、生活に困らない人間ほど、何かと傍若無人にふるまう。

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