編集長コラム「金曜日から」 編集長のコラムを公開しています。

谷村智康の経済私考

経済私考の執筆者、谷村智康さんは仙台在住のフリープランナーです。被災後も、
仙台で暮らし、ボランティアなどもしているそうです。日々情報は更新されてい
きますが、3月21日に寄稿してもらった弊誌掲載コラムを本人の希望によりここ
に転載いたします。

谷村智康の経済私考

人々の善意を、点から線にするために
支援者・ボランティアの組織化を

「もう、お会いする機会もないかも知れません」との挨拶の言葉を残して、近所
のお年寄りが、仙台の被災した家を離れて、新潟行きのバスに乗った。心身とも
に疲れている上に、気温が低い。インフラの復旧の見込みは立たない。だから動
ける内に避難する。それが自分の身を救うことであり、被災地の負担を減らすこ
とになるとの判断なのである。
 従来の被災地支援であれば、地域の日常を回復することを目的として、支援物
資を運び込み続けることで何とかなった。もちろん今回も、被災地では生活物資
が不足しているので、従来の動脈型救援はお願いしたい。と同時に考えていただ
きたいのは、30万人に達する被災者を現地で生活させることは当面は無理なの
で、「疎開」させる静脈型の被災者支援である。
 今朝のニュースによると、新潟県には避難者が7000人以上いる。新潟は被
災地ではないので、おそらく、宮城などの「壊滅した地域」から逃れた人が大半
であろう。経路である山形県にも多数の避難民が押し寄せているとの話を昨日、
山形から駆けつけてくれた支援者から聞いた。山形にある蔵王と上山温泉(この
二つは、仙台に隣接し、新潟へ抜けるルートに近い)が、被災者に廉価で宿を提
供してくれているのは心強い。臨時の避難所として、学校などを開放してくれて
いるとの話も直に聞いた。ただ、山形でも物資不足で、こうした疎開してくる人
たちに食料や燃料の支援ができないでいると言う。「ガソリンさえあれば」(支
援者談)、より安寧な地域まで運ぶことも、またそこから物資を持ち込むことも
可能なのだが、震災以前にこうした疎開の発想がなかった。だから脱出路を確保
し、そこに食料や燃料を送り込むとの組織的な活動は、残念ながら今のところな
いようだ。
 だが一方で、被災者受け入れを橋下徹大阪府知事も宣言しているし、本日は、
茨城県水戸とつくば市が同様の施策を表明した。とても心強く、被災者の一人と
して、また、被災地からの脱出を手伝っているものとして、感謝の思いでいっぱ
いだ。あとは、こうした点をつないで線とし、被災地からの一時脱出が円滑に進
むようにネットワーク化することだ。つまり、各地の地方自治体や生活支援の各
種企業、そして、ボランティアの方々の力を組織化することだ。
 今回のすさまじい被災を報道などで見て、ボランタリィな善意がたぎっていた
り、その反動で自分の無力に苛まれているとのメールが筆者のところにも寄せら
れている。そうした思いを形にする時が、もう少しでやってくるだろう。しかも
それが、それぞれの身近な場所でも可能になる。だから、今は力を溜めて待って
いて下さい。さしあたり、疎開ルートにあたっている人たちは、逃げていく人た
ちのことをよろしくお願い致します。

【『週刊金曜日』3月25日号より】

地震発生から一週間

編集長後記

 地震発生から一週間たち、首都圏のメディアは喪が明けたかのように振る舞い始めた。NHKは福島第一原発の生中継を激減させ、民放ではお笑い番組がおそるおそる流されている。頼りになる情報源は、メーリングリスト、ツイッター、動画生中継などネットになっている。
 日本を立ち直らせるには、これまで通りの暮らし(消費行動)をすることが大事だという声も強まっている。一見もっとも。しかし、これまで通りでいいはずがない。津波という天災はともかく、原発の恐怖は、今までの無自覚な日常生活の象徴なのだから。福島第一原発三号炉にはプルトニウムを材料にするMOX燃料が混ざっていた。これは環境面ではもちろん経済的にも保有する理由が皆無の、つまるところ政治的な産物なのである。過去をひもとけば自然を制御しようと夢想するこの手の錬金術は代償が大きかったはずではないか。これほどの被害を受けた今こそ自然や人と共に生きる思想の政策を本気で実現しなければならない。次はない。(平井康嗣)

震災に遭われた皆様には心よりお見舞いを申し上げます。

編集長後記

 震災に遭われた皆様には心よりお見舞いを申し上げます。また、行方不明の方が一刻も早く発見されることをお祈りしております。

 福島原発の溶融事故には怒りを覚える。東京電力はこれまで大手メディアから怪しげな雑誌まで、どれだけ広告費を使ってきたのか。なぜ使わなければならなかったのか。いろいろな話を思い出した。原発震災は人災である。

 一方で津波の自然が備え持つ有無を言わせない暴力性には恐怖や無力さを感じた。

 テレビは家にいる間はずっとつけっぱなしにしていた。二〇秒ほどだろうか、ランドセルの少女が映し出されていたことが思い出される。少女は「みんな流されちゃった」と泣きながら、眼下の沈んだ町に向かって「お母さん、お母さん、お母さーん」と何度も呼びかけていた。あの年頃の子どもにとってお母さんはまだまだ甘えたい存在。あまりにも突然の別れだ。いや、まだ別れたかどうかは、わからない。再会の知らせも次々に報じられている。ともかく、雑誌を作ります。(平井康嗣)

「セイジとカネ」で前原誠司氏があっさりと外相を辞任した。

編集長後記

「セイジとカネ」で前原誠司氏があっさりと外相を辞任した。在日韓国人から日本名で二五万円の献金を受けていたというこの問題の違法性の程度からすれば、過剰と言える引き際である。

 前原氏は、民主党政権になり、一昨年新たに立ち上がった議員グループ、「戦略的な日韓関係を築く議員の会」の会長だった。民主党きっての韓国通という位置づけであると見られる。親米タカ派と呼ばれていたが、外相になってからは北朝鮮との対話をほのめかす発言をした。だがこれも韓国政府にクレームをつけられて撤回する。国交相時代の八ッ場ダムについての対応を引き合いにだされて言い放しと批判された。発言の真意は不明であるが、その踏み込みぶりから朝鮮半島への想いやつながりを私は想像した。今や損をした気分だが。

 今回の辞任は、さらなるスキャンダルを回避するためだったのか。追及された一件の違法性が低いため政治家として傷がたいしてつかないという腹だとしたら、政治や人をなめすぎている。(平井康嗣)

『竹中平蔵こそ証人喚問を』が売れているそうだ。

編集長後記

 佐高信編集委員の『竹中平蔵こそ証人喚問を』(七つ森書館)が売れているそうだ。

 民主党やそのほかの野党は、郵政民営化や労働者派遣法や格差社会を批判してきたが、なぜそうなったか検証していない。この作業は後ろ向きの仕事ではない。日本の分岐点を明確にして、掛け違えたボタンをはめ直して制度設計すべきだ。その不満が世間には堆積している。

 外資系含め企業が国内で活動しやすくなるよう規制緩和をしてきた。企業や市場に任せればすべてうまく調整されるとする考えだ。森喜朗以降の清和研政権でそれは急速に進み、その頂点が小泉純一郎と竹中平蔵時代だ。それは今の霞ヶ関も変わらない。  

 今週号で特集したTPP(環太平洋戦略経済連携協定)はそのだめ押しである。民主党政権になって米国の年次改革要望書は出なくなった。代わりに出てきたのがTPPだ。国家間共同体はまずは経済からというのはEUの先例だろうが、日本が見ているのが相変わらず米国だけというのはお粗末過ぎる。 (平井康嗣)