編集長コラム「金曜日から」 編集長のコラムを公開しています。

「愛国」を唱える与党が、日本の富を米国に捧げるという「売国」に走る茶番

 自民党が政権を維持できるのは「いい加減さ」によるところが大きいと、永田町関係者は口をそろえる。懐が深いという意味もあるのだろう。確かに、ハトからタカまで何でもありだし、平気で党内闘争をメディアにさらけ出す。

 だが、国の本質にかかわることに、「いい加減」は通用しない。憲法や教育基本法に「愛国の精神」を持ち込もうと躍起になる党が、現実には日本を米国に売っている。あまりに無茶苦茶だ。

 なぜ、あのとき動かなかったのかと自己嫌悪に陥る。まだバブルが弾ける前、あるエコノミストに言われた。

「日本企業が盛んに米国の企業やビルを買っているでしょう。ニューヨークの一等地だとか、世界一の企業を目指すとか、はしゃぎまわっているお歴々の姿をみると哀れになってしまう。下品な表現を許してもらえば、バカ丸出しです」

「どれもこれも、高値でつかまされているだけなんです。米国の政府も経済人もみんな舌を出しながら、“頭の悪い”日本人を冷笑している。いずれバブルははじけます。そうなるとどういうことが起きるか。今度は日本が米国に根こそぎ買収されてしまう。企業も土地も、ことごとく米国企業に買い漁られるのです」。

 恥ずかしながら、エコノミストの話に実感がわかなかった。「米国陰謀論」は一種の流行で、なんでもかんでも「陰には米国の思惑があり」という考え方には距離を置くことにしていた。結局、裏付け取材もしなかった。

「陰謀論」のかなりが真実であることを裏付ける「年次改革要望書」の存在にも気づかなかった。今週号で特集を組んだが、主要メディアはいまだにきちんと報じておらず、内容を把握していない市民も多いはずだ。

 だが政府や与党が知らないはずはない。米国が日本のカネの収奪計画を立て、着々と実行する。そのことに気づかないとしたら、論外である。むしろ、郵政民営化をみても、「盗人に追い銭」政策をとってきたのは隠しようのない事実だ。なぜ、私たちがせっせと生み出した富を、米国に捧げなくてはならないのか。これを「売国」と言わずして何と言おう。小泉首相、竹中総務相、はっきり答えてほしい。(北村肇)

「日の丸・君が代」に断固、抵抗する教師をなぜ、組合はしっかり守らないのか

 南海の孤島で、臓腑のすべてを動員して叫びたくなることがある。存在を賭けた闘いなど、字にするのは簡単だが、現実にはそうそうありえない。相手が強ければ尚更だ。だから、引かれ者の小唄よろしく、誰にも聞こえない状況のもとで、繰り言を大声で外に発したい。卑小な自分に嫌悪感を抱く瞬間でもある。

 そんな小者がこの世界で生きてこられたのは、労働組合のおかげだ。社会や組織の不正義に立ち向かうには、想像を超えるエネルギーがいる。時に、恐怖感とも向き合わなくてはならない。だが、そこに仲間がいれば、乗り越えられる。「裏切らない、裏切られない」関係の存在する、たとえようのない安心感。

 組合には目もくれない若者をたくさんオルグしてきた。成果はあまりない。それでも時折、彼ら、彼女らの琴線に触れることがあるらしい。

「いまは若いから、何も怖いものはないかもしれない。仮に会社をクビになっても、バイト口くらいはあるだろうし、なんとか暮らして行けるだろうから。でも、たとえば明日、交通事故に遭って大きなケガをしたらどうだろう。だれが助けてくれるのか。果たして会社が救ってくれるだろうか」

「組合って、家族や恋人みたいなもの。いざという時は、病室にかけつけ、どんなことがあってもあなたを見守り、助ける」

 不当解雇され、闘った経験のある労働者は、他の争議にも積極的にかかわる。「瀕死の重体」となったとき、ベッドにかけつけてくれる仲間のありがたみを知っているからだ。

 卒業、入学式シーズンが終わった。今年もまた、一人で闘いに挑んだ教師たちがいる。良心の自由を守るという、ごく当たり前の主張が押さえつけられ、潰されていく。それに反発し、敢然と立ち上がる教師はしかし、孤独を強いられる。

 大いなる疑問が浮かぶ。労働組合は何をしているのか。なぜ組合をあげて闘わないのか。「君が代」斉唱のとき、組合員は全員、着席すべきだ。どうして、確固として主義を曲げず、免職の恐怖を腹に押し込みながら座り続ける教師をしっかりと守らないのか。

 闘争なき、連帯なき組合に未来はない。 (北村肇)

共謀罪の危険性を報道せず、「野球世界一」に大騒ぎするマスコミとは何か

 国会の衆議院議員会館地下にあるレストランで、カレーライスを食べた。2、3日、胃腸の調子がおかしかった。お店の名誉のために強調するが、決して食材が古かったわけではない。食事前に参加した院内集会が原因だ。

 集会は、共謀罪に反対する表現者と市民グループが共同で主催した。冒頭、野党議員から現状報告が行なわれた。「与党は、衆議院法務委員会で、まず共謀罪の審議入りを求めたが、われわれの反対で入管法を先議することになった」。

 日本に入国する海外の人から指紋を採取するという、これも許し難い入管法の改悪。悪法はまだまだある。教育基本法改悪、憲法改悪をもくろんだ国民投票法……。市民・国民を息苦しくさせる法案が、次々と国会で審議される。野党はそれなりにがんばっても、反対の大きなうねりは起きない。もどかしく、いたたまれない。

 やれることはやろうと開かれたこの日の集会。ジャーナリストでは、月刊誌『世界』の編集長、ライターの斎藤貴男さんらが共謀罪の危険性を指摘、私も発言させてもらった。だが、全国紙やキー局関係者のメッセージはゼロ。毎日新聞にいた経験から、企業内記者の立場ではいたしかたないのだろうという思いはある。しかし、取材陣の中にも記者は数えるほどしかいなかった。当然、報道もされない。

「王ジャパン」が「野球世界一」になったときは、全国紙の号外が発行された。唖然とした。そもそも、準決勝で韓国に勝ったあたりから、新聞もテレビも異常な大騒ぎで、違和感があった。

 誰でも、スポーツには多かれ少なかれ関心がある。その意味で、報道する価値はある。載せるなとか、極力、小さく扱えとなどと言う気はない。私も必ずスポーツ面には目を通す。しかし、「野球世界一」で号外を出す余裕があるなら、共謀罪の危険性を大々的に報じるべきだと思うのだ。

 先日、ご高齢の読者から電話をもらった。話しながら、受話器の向こうで涙ぐんでいるのがわかった。「新聞はどうなってしまったんでしょう。あのとき(戦中)と一緒。もうこの国はだめです。もうだめです」と何度も繰り返される。

「同感です」としか答えられなかった。(北村肇)