編集長コラム「金曜日から」 編集長のコラムを公開しています。

先日遺体で見つかったZ全国指名手配容疑者

 先日遺体で見つかったZ全国指名手配容疑者。
 もはや無用となった、一〇〇万枚刷られたという手配ポスターには顔写真の横に「おい、Z!」とでかでかと添えられていた。

 知人のZ氏はこれが不愉快で、自宅近くの交番に文句を言ってポスターをはがさせた。
 なぜこの気持ちを見逃していたのだろうか。それは私がZという名字ではないからだ。

 これを拡大させたのが橋下徹大阪市長の『週刊朝日』事件だ。部落差別の意図はなかったと言うが、としても「ハシシタ」と敢えて見出しに打った。
 これは出自と名前とその性格を結びつけて貶めることを狙った確信犯ではないか。
 橋下という名字の人の心中はいかがなものだろうか。

 さて、メディアを熟知していることを常々強調してきた市長は騒動を奇貨とした。
 『週刊朝日』との資本関係という強引な論理を主張し、「ノーサイド」を示唆し『朝日新聞』の謝罪と連載中止を得た。
 「修羅場」をまたくぐり抜けて成長してしまった。
 と思いきや、ずいぶん汚くゴネはじめた。この程度か。
(平井康嗣)

先週月曜日に山中伸弥京都大学教授のノーベル医学・生理学賞受賞のお祭り騒ぎが日本中を席巻したのもつかの間、週末にかけて肩書き不詳の森口尚史氏バッシングがわき起こった

 先週月曜日に山中伸弥京都大学教授のノーベル医学・生理学賞受賞のお祭り騒ぎが日本中を席巻したのもつかの間、週末にかけて肩書き不詳の森口尚史氏バッシングがわき起こった。
 氏の記者会見が米国で開かれテレビ放送されたが、森口氏を「『でっ』ってなんだ」とか「なにをにやにやしているんだ」などと本当に徹底的にとっちめている公開処刑ぶりがきわめて不快だった。

 真の権力者には見せない屈折した”正義”だ。
 あなたはなにを代表して暴力をふりかざしているんだ。
 確かに森口氏の虚言癖や盗用疑惑は大問題だ。

 しかし、それを拡大させたのは科学リテラシーが不十分だった『読売新聞』だ。
 誤報を出した記者も死にたい気持ちだろうが生きて猛省するしかない。
 テレビは論外だが、新聞の科学記事も解説ばかりだ。
 科学部と社会部の縦割り組織の弊害もあるのだろうが、記者には批判的合理主義者のカール・ポパーなども読んでほしい。

 なお『読売』はこれを機にこれまでの原発関連報道も批判的に検証すべきであろう。
(平井康嗣)

かつて、あくどい広告代理店は、「テレビCMに効果がないじゃないか」と広告主に不満を言われると、「ですよね。それは広告が足りないからです。もっと打たなければ効きませんよ」と広告主をそそのかし、カネをひっぱったとか。

 かつて、あくどい広告代理店は、「テレビCMに効果がないじゃないか」と広告主に不満を言われると、「ですよね。それは広告が足りないからです。もっと打たなければ効きませんよ」と広告主をそそのかし、カネをひっぱったとか。

 九月末、都内で開かれた環境放射能汚染除染・廃棄物処理国際展をみてきた。
 業界向けの展示会だ。展示物に群がる背広姿は、熱心に説明をし、にこやかである。
 その中には原発をつくっては儲け、原発が事故っては儲けようとしている企業もいる。
 
 原発をつくることも、事故処理も法に権威づけられた国策だ。兆円レベルの予算もつく。”除染バブル”到来だ。

 JR福島駅の近くにも「除染情報プラザ」までできた。
 これから何年も除染が必要になることを示唆している。
 除染しても効果のない土地もあるけれど、でも大丈夫だ。
 効果がでなければ、お金をかけてもっと除染をやればいい――。

 以上を「鳴かぬなら 別のを買えばいいじゃないですか ホトトギス」の法則とでも名付けようか。
(平井康嗣)

今週号では『琉球新報』の内間健友記者に寄稿していただいたので、こちらでは『沖縄タイムス』をひこう

 今週号では『琉球新報』の内間健友記者に寄稿していただいたので、こちらでは『沖縄タイムス』をひこう。
 九月三〇日付の社説は内間記者の原稿と通底する。

〈ゲート前抗議の論点は、もはや「オスプレイの安全性」という枠を超えている。明らかに「普天間閉鎖」要求にシフト、集約されつつある〉
〈県民の意思は、県内移設や振興策との取引で妥協できる段階を超えている。政府の思考停止ぶりは悲劇といえる〉

 本土の私は相変わらず甘かった。ぬるかった。
 沖縄のオスプレイへの拒絶反応は、もはや臨界点を超えている。
 つまり、本土が何をもちかけても一切の妥協の余地がないということである。
 オスプレイへの絶対的拒絶を無視しての強制的配備は、米軍普天間基地そのものへの絶対的拒絶を生んだ――ということだ。

 全国で原発再稼働への怒りの声が続くのとまるで同じだ。
 絶対的反対に妥協の余地はないのだ。妥協できるという想定を政府は捨てるべきだ。
 尖閣ではなく沖縄を失うことにもなるだろう。
(平井康嗣)