編集長コラム「金曜日から」 編集長のコラムを公開しています。

壊れてしまう

 通勤の途中、お散歩カーに乗る保育園の子どもたちに出くわした。自転車を止めて手を振る。手を振り返してくれる。

 この3月が終われば、ひとつ上のクラスに進級かな。付き添いの保育士さんはみなマスクをしているが、いつもと同じのどかな春の一コマ。

 だが、会社に着いて新聞を広げると、ため息ばかり。

 安倍晋三首相の考えていることがわからない。やってる感を出すために学校に一斉休校を要請し、卒業式とか中止にさせておいて、自分は防衛大学校の卒業式で「自衛隊明記に改めて意欲」って。「俺様ルール」で絶好調じゃないか。

 それにしても壇上の方々、混み合ってるのにマスクもつけずにいいのでしょうか。

 発表された政府の新型コロナ対策案の中身にたまげる。「外食や旅行代金の一部を国が助成することを検討」(共同通信)。不要不急の外出は控えることになっていたはずなのに──。消費税減税については「見送られる公算が大きい」って、ガーン。

 このままでは、世の中が壊れてしまう。

見倣いたい

 先週後半は私用で関西に。新幹線の車両は空いていたが、同じ車両にくしゃみを20回くらいする乗客の方がいてハラハラした。私もそのうちつづけて「ハクション」。周りのピリピリが伝わってくる。思わず身震い。

 14日の安倍晋三首相の記者会見はまたまた「お気持ちの表明」で具体策が示されず。本誌連載執筆者のお一人、阿部岳『沖縄タイムス』記者が会見打ち切りのそのときに、安倍首相にむかって「総理、これが記者会見と呼べるんですか」と食い下がったのはよかった。それにしてもNHKの政府広報化は完成段階か。

 今週号、韓国の盧泰孟医師による「韓国で最も感染者が多い大邱の一日」は現場の緊張と苦悩が漂う。障害者本人が陽性判定を受けた話は切実だ。

 事前に予測可能だが、〈社会はその予測可能なことに対して何の準備もしていなかった〉〈すべての医療労働者たちの献身が支配者側の倫理によって美化されないことを願う〉。絶望の淵にあっても内省的で怜悧。及ぶべくもないが見倣いたい。

手はあるか

『金曜日』はなぜ新型コロナウイルス騒動に対して傍観者的態度をとるのか、というお叱りのお手紙をいただいた。

 読者がそのとき疑問に思っていることに誌面でずばり答えられないもどかしさは感じている。どうしても時差が生じるからだ。速報性で劣る分、中身を掘り下げて報道できる強みを、どう活かすか──。

 先週、京都に出張したが、ガラガラで驚いた。3・11直後も訪れたが、客の少なさは比較にならない。昼、そば屋に入ったが、客は私たちだけ。採算にあうのか心配になった。

 ファストフード店で深夜勤務をしている50代の方の感染を伝えるニュースが流れていた。日中は派遣の仕事、夜は0時までアルバイト。非正規労働者は掛け持ちをしなければ生活ができない。正規労働者は体調を崩しても休めない。市民は疲弊しきっている。今度の事態を乗りきる〈体力〉が日本社会に、はたして残っているのだろうか。

 これで東京オリ・パラ開催? 政府は〈精神力〉で突破させるおつもりか。政権変えるしか手はないなあ。

大切な節目

 安倍晋三首相の“独演会”は凄かった。新型肺炎対応をめぐる記者会見のはずが、記者の質問は無視して決意を滔々と述べる。

 予定を16分超過したところで終了。「まだ質問があります」という江川紹子さんの声を無視して退場。公的な行事が待っていたわけではないことが首相動静でばれてしまう。

 小中高等学校などに臨時休校を要請した根拠を教えてほしいな。こんな前例を残してはいけないから。

 私的なことで恐縮だが、高校3年生の子どもの卒業式は放送を使って教室で行なわれるときいた。参加は教職員と生徒だけ。親はおまけだからいいと思う。

 そういえば、この子の学童保育の卒室式が3・11直後だった。計画停電のなか、ろうそくのほの暗い教室で行なわれた。写真係の私は焦った。みんなで手を合わせた黙祷が心に残っている。どんなかたちであれ、大切な節目であることに違いはない。

東京の都立高校卒業式も同様に、来賓・保護者なしで行なわれるという。校歌斉唱なし、ただし「君が代」斉唱はあり。なんと!

忖度しない

 新型コロナウイルス(COVID─19)について政府の専門家会議による見解の発表が24日、ネットでライブ中継されていた。

 連休明けには会社やお店も再開される。このタイミングで感染拡大を最小限に食い止めるための対策は不可欠だ。私も釘付けで見た。

 普通の風邪やインフルとの見極めが難しいわけだが、服薬については言及がなかった。厚労省のHPを開いてみる。「国民の皆さまへのメッセージ」とあってずっこける。「日本にいる皆さま」のほうが適切ではないのか。

 それはおいて、解熱剤の使用については言及があった。結局、一般の医療機関でも感染が疑われる患者を受け入れる場合もあるとのこと。病院に行くべきかも含め、悩むところだ。

 25日午後、政府は基本方針を決定したが、政府でなければできないことをやってほしい。「クルーズ船」への政府の対策は、危機管理の失敗例として歴史に残るかもしれない。「ウイルスは忖度しない」。作家・平野啓一郎さんの一言は行政への不信を言い当てている。

コーヒーの味

 日々新たな感染者の数字が速報される新型コロナウイルスによる肺炎(COVID―19)。ようやく政府は専門家会議を開催し、テレビニュースでも取り上げられたが、安倍晋三首相が在席したのは3分ほど。

 自ら引き上げたのか、役に立たないから退席いただいたのかわからないが、それ自体がツイッターなどで話題になってしまうという始末。最新の調査では内閣不支持率が支持率を上回ったと言うが、この政権のガバナンス能力のなさは底なしに思えてくる。

 一方、厚生労働省から相談や受診の目安が発表された。風邪の症状や37・5度以上の発熱が4日以上続く場合など、相談が奨められるという。家人が長期出張にいく前に、体温計を探していた。子どもが小さいときに耳で計れるものとか試したが、残っているのはシンプルな体温計だけ。結局、行きがけに購入して貰った。

 私自身は、体温計を使わなくても、毎朝飲むコーヒーの味で熱があるかどうかわかる(と思っている)。今日はOK。さ、校了作業だ。急がねば。

コロナウイルス

 新型コロナウイルスによる感染拡大がつづく。感染をおそれるあまりの過剰反応による差別的な対応なども問題になっている。メディアの報道姿勢は重要だ。

 長野県・佐久総合病院の色平哲郎医師からこんなメールが届いた。「病院へ行かないという選択を!」

 例えば新型コロナウイルスの検査キットは一般の医療機関にはない。インフルエンザにしても確実な検査とはいえない。それなのに、検査を求めて受診するのは、学校や会社を「公的に」休むために必要だから。

「一番問題なのは、治療の要らない軽症者が受診することで、重篤な疾患を抱えている患者さんがたくさんいる医療機関でウイルスをばらまいてしまうこと」という。

 確かに私もインフルの可能性のある症状が出たら、社内の人に感染する危険性があるからと医療機関に駆け込んでしまう。様子をみてひどくならなければ、症状がおさまるまで休んでいればいいということだ。

「診断のために医療機関を受診するのはやめましょう」。社会の流れとしてはそうあるべきだろう。

信じがたい

 あれ、鼻がムズムズする。スギ花粉がそろそろ飛び散る季節だ。インフルエンザもいまだ油断がならない。編集部はA型にやられたばかり。さらに新型コロナウイルスによる新型肺炎の脅威にもさらされている。困ったことだ。

 ウイルス対策には手洗い、免疫力を高めるための十分な睡眠とバランスのとれた食事。でも、これが実は一番難しい。母方の大叔父がスペイン風邪で若くして亡くなっている。東京に出てきて学業を終えて社会人として勤めだしたところだった。一人暮らしで栄養状態が悪かったのか。

 今週号の天笠啓祐氏の記事によると、新型コロナウイルスは変化しやすい。変化前に封じ込めることができるか。日本政府の危機管理能力のなさは、昨年の自然災害で見せつけられたばかりだ。今回も後手に回っている。

 と思えば、伊吹文明元衆院議長から「緊急事態に個人の権限をどう制限するか。憲法改正の大きな実験台と考えた方がいいかもしれない」という発言も飛び出したという。政治家の発言とは信じがたい。

中村医師から学ぶ

「ペシャワール会」の現地代表・中村哲医師のお別れ会が1月25日、福岡の西南学院大学で開かれた。同日、さいたま市浦和区でも、アフガニスタンでの中村医師の活動記録映画を上映するなどして追悼の集いを開催する旨、事前に連絡を戴いた。全国で同じような会が催されているのかもしれない。私たちは、いかに大きな人を失ってしまったのか。

 昨年の12月20日号でお約束した記事を今週号で掲載した。ペシャワール会の活動は今後も伝えていければと思う。

 アフガニスタンの旱魃もそうだが、気候変動の問題は重大だ。ウズベキスタンのアラル海は干上がってしまったが、JICAの永田謙二さんによるとイランのウルミエ湖も2000年頃から縮小を始めた。アフガンのヘルマンド川の流量も調べたが、この一帯が同時期から旱魃傾向が続いていることは間違いないという。ただ、温暖化の影響かどうかはわからないそうだ。

 自然に対する謙虚なまなざしと文明のおごりを戒める思想──それこそ中村医師の活動から学びたい。

最後のセンター試験

 最後のセンター試験がこの週末に行なわれた。小さなミスはあったようだが、ほぼ滞りなく終了したようだ。

 批評家の若松英輔さんが国語に出題された原民喜の「翳」をめぐり、ツイッターで発信されていた。私は恥ずかしながら読んだことがない。わが家にも受験生がいるので「翳」について聞こうとしたところ、堰を切ったように泣き出した。試験の緊張が解けたせいもあるのだろうが、悲しい話に弱い娘はただただ号泣するだけ。そして一言「××がかわいそう」。新聞に載っていた試験問題を家人が探して読む。「で、どこに○をしたの?」。受験生曰く、「間違っていたら××が憎らしくなるから知りたくない」。

 若松さんはこういう。「もし解答が誤っていることに悩んでいるなら、こう言いたい。『君は、原さんの言葉を超えて、原さんの心にふれたから間違えたんだ。文字上では誤りでも、君は、意味の世界では『正解』以上のことを経験したんだ』」。この言葉をそっくり、我が家の受験生にも送りたい。