編集長コラム「金曜日から」 編集長のコラムを公開しています。

路上、路地、路傍――。

編集長後記

 路上、路地、路傍――。
 路にこそ本物の言葉は転がっているのだろうか。

 故・榊獏山に『路傍の書』という本がある。たとえば路の傍らにたたずむ馬頭観音の石碑に刻まれた無名の書家の渾身の一筆に名筆にはない美を見いだした。獏山が路で立ち止まり歩み寄って破顔する姿が目に浮かぶようだ。

『夜露死苦現代詩』などで知られる都築響一は、現代の路傍=ロードサイドや、不良や認知症の老人の言葉に唯一無比の詩を見いだしている。

 プロテストソングの実体は詩だ。それはかならずしも社会や権力に歯向かう言葉だけではないだろう。家族や学校や東京などへの想いを、俺や私が自分の頭で考えて正面から受け止めようとして出た言葉と音なのである。岡村靖幸のアルバムも推薦したのだが、選にもれて残念である。岡村の突き抜けた「気持ち悪い格好いい」に、表現する勇気をもらった人も多いはずだ。

 安全圏のイデオロギー的言説に流されず、無名の声、声にならない声に共振していきたいものだ。 (平井康嗣)

被災経験を教訓に

 大雪で東京近隣では群馬県南牧村、埼玉県秩父などが孤立化していることは新聞やテレビで知ったが、山梨県内の生々しい情報はソーシャルネットワークで知ることになった。

 記者も入れないから情報がとれないのだ。大雪で17日現在、全国で17人が亡くなったという。「観測史上最高」ばかりがニュースだが、現地では食糧不足、避難先やトイレの場所、放置自動車の扱い、などさまざまな「初めて」と情報不足に直面し、今も続いている。

「被災地だ」という声も高まっている。取材や支援に行きづらいとはいえ、テレビ局が一石二鳥だとニュースにかこつけて嬉々として五輪映像を垂れ流していたり、首相がぬくぬくとてんぷらを食べていると腹も立ってくる。

 ふりかえれば週末、都内のスーパーではかつて慢性的に不足していた水が安売りされ、たやすく買えた。地震対策のために常備する家が激減したのだろう。もうすぐ3月11日だ。あの被災の経験は、教訓とはほど遠い、応用力や想像力につながらない知識になりかけている。 (平井康嗣)

むかいのアパートに住む高齢の独居女性二人だけが路上に出て雪かきをしていた

編集長後記

 日曜日の昼前、自宅のむかいのアパートに住む高齢の独居女性二人だけが路上に出て雪かきをしていた。ごみ捨て場の掃除をマメにしているのもこのお二人だ。さすがに雪かきは力仕事。しばしそれを手伝う。年末は札幌にいたが、雪が降れば朝から雪かき。高齢者がいればお隣さんが黙って手伝う。こういう希な出来事が起きると、初動で人の力量や町の姿がよく見える。

 昼には小学校の投票所まで散歩した。大雪が影響したのか都知事選はひどい低投票率だった。宇都宮編集委員は次点で落選し、やはり誠に残念だ。介護が必要と言いつつ、差別的な暴言を吐いていた舛添要一氏。想定通り組織票で勝利し今後は自公と癒着するだろう。NHKは結果を「ゼロ当確」で報じたが、1月の沖縄・名護市長選では21時30分頃の当確と異常に遅かった。局内部では幹部が自民に忖度したともっぱらの噂。報道と政治、報道とカネは一線を画すはず。だが、実際は癒着だらけ。庶民にはばれないと思ってる。俺たちをなめるなよ、だ。 (平井康嗣)

編集部に都知事選に関する問い合わせが毎日ある

編集長後記

 編集部に都知事選に関する問い合わせが毎日ある。脱原発候補の一本化について『週刊金曜日』が動けというものだ。今週号にも関連投書を掲載したが、どれも一理あり、どれも『金曜日』と親しい人を切る。胸が締め付けられる思いである。

 ただ、ここで確認したいことは『金曜日』として政治的工作はしないということだ。「中立公平だ」「政治よりも正義だ」とキレイごとをいうつもりはないが、選挙期間中に特定候補の支持を表明するはずもない。編集委員が候補になっているのだからなおさらだ。私も都民であり、最終的にはだれかに票を投じるが行方は秘密である。『金曜日』を利用して告白もしない。公の場としての役割は投票をうながす材料を提供するということだ。

 要注意なのは橋下市長のようなエセ脱原発派がいた過去だ。この脱人権派にはウンザリしている。ともかく最悪な事態は、さまざまな社会変革の求心力となりつつある脱原発運動が選挙後に分裂・対立することなのだ。私の周りでも誰もそれを望んでいない。 (平井康嗣)