編集長コラム「金曜日から」 編集長のコラムを公開しています。

石牟礼道子さん

 石牟礼道子さんの訃報が入った。石牟礼さんは小誌立ち上げ時の5人の編集委員のおひとりだ。その後も小説「天湖」の連載、インタビュー記事などで登場いただいた。

 今週号では落合恵子、田中優子、両編集委員と鎌田慧さんが追悼原稿を書いてくださった。いずれ特集記事を組めればと思う。

 創刊当初の記事では故住井すゑさんとの「作品空間」を踏まえた対談、染織家の志村ふくみさんとの「染」をめぐる対談などが印象深かった。今秋上演予定の石牟礼さんの新作能「沖宮」では、志村さんが衣装を監修されると聞いた。

 小誌では昨年3月17日号で石牟礼さんのインタビュー記事を掲載している。死者と共同体とのつながりという話のなか、かつての水俣での送りについて言及されている。「亡くなった人の魂と共同体の魂がつながっている」から、「お悔やみ申し上げる」というのは「ちょっと違う」。「亡骸を振り返りながら、次の一歩を踏み出す」と語られた。

 いま、そのことばを噛みしめる。

闘い

 残念な結果であることは間違いない。ただこれですべてが終わるわけではない。名護市長選挙のことだ。

 マナティが大好きで、見たことがないジュゴンもきっとマナティのように愛すべき動物と思い込んでいるわが家の高校生は選挙結果を聞き、わっと泣き出した。「沖縄からジュゴンがいなくなってしまう」

 あらら、いつも憎まれ口をきいているのに。東京の高校生にはそんなひっかかりしかないのも事実。いつまでなら間に合うのかわからない。でもきっとまだ間に合う。

 今回の結果を聞いたら悲しむだろう人の顔が思い浮かんだ。舛田妙子さん、本誌の音訳サービスを手がけてくれた方だ。昨年11月に亡くなられた。その夕方、メモリートーキングという集まりがあり、活動を支えてくれた方々を中心に50人ほどで思い出を語り合ったところだった。舛田さんはいつも沖縄のことを気にかけていらした。

「民意」――それは重い事実だ。しかし闘いは続いている。本誌はそこから目を逸らすつもりはない。

拍手

 金棒を持つ赤鬼2匹の人形が寒風に揺れる。1月28日、新宿駅前。生活保護費引き下げに反対する「もやい」&「エキタス」の街宣に参加した。

 生活保護を受けている方がスピーチをされた。切り詰めて生活されていること、周りから尊厳を踏みにじるような苛烈な批判を受けたこと、その人たちもぎりぎりのところで悲鳴をあげているように思えること……。

 今回、生活保護費の切り下げが出てきたのは、「一般低所得世帯」の消費実態が冷え込んでいるからだ。それってアベノミクスが失敗したってことじゃない? 国会議員3人も登壇。長妻昭さん(立民)によると、引き下げに連動する制度は38以上という。沖縄での相次ぐヘリ事故で「それで何人死んだんだ」発言があったが、生活保護の引き下げでも自民は同じことを言うのかと皮肉った小池晃さん(共産)、鋭い!「そもそも人を使い潰す働き方を加速したのは今の政治」と山本太郎さん(自由)、その通り! 気がつくとかじかんだ手で一生懸命拍手していた。

試練の春

 今朝はひときわ窓の外がまぶしい。昨日降った雪に朝日が反射しているからだ。あちこち雪で埋もれているが、地下鉄の駅から会社までの歩道は雪がない。近くにあるクロネコヤマトの上着を着た男性がシャベルを持ってせっせと雪かきをしている。よけいな作業が入ってたいへんだ。

 きょう、子どもの通う高校は推薦入試の予定という。先日のセンター試験もそうだったが、入試は雪とインフルエンザとの闘いでもある。

 悲しい報せがあった。自宅療養していた三きょうだいを育てるシングルマザーが、自宅で静かに息を引き取ったという。末娘が公立高校の入試を2月に控えている。病状悪化をうけて医師が入院をすすめたが、娘の受験がすむまではと、自宅で頑張っていたのだ。

 もしかしたら経済的なことなど、いろんな事情が絡んでいるのかもしれないが、母親の心中は察するに余りある。

 この春、上の兄は高校を卒業する。三きょうだいはバラバラに暮らすことになるのかもしれない。試練の春を無事に越えてほしい。

通常国会が始まる

 通常国会が始まる。安倍晋三首相は今月4日、三重県伊勢市で今国会を「働き方改革」と宣言。昨年、突然の解散で先送りされた「働き方改革」関連法案が胆になるのだろう。昨年11月24日号で、木下壽國、竹信三恵子両氏が「『働き方改革』に潜む技術革新の光と影」で警告を発している。もちろん今国会では改憲発議が本命であることを忘れてはいけない。いずれにせよ政権は明るい未来しか示さないので、その虚飾をひっぱがして本質を示していく必要がある。

 そういえば、安倍首相が”最も国会に来ない”首相への道を歩んでいるという分析が話題になっている。南部義典氏が「”国会に来ない総理大臣”ワーストは、この人!」(「マガジン9」URL・http://maga9.jp/180110-4/)で、過去18名の首相の在任期間中の会期日数や、衆参本会議、委員会への出席頻度などを比較した結果だ。これが意味するところは──説明責任への疑問だろう。知人に教えて貰った記事だが、本誌記事だったらなおよかった?!

たくさんある

 年が明け、ベランダに放置していた枯れ草の残る鉢をようやく手入れした。鉢の中からバッタがひょいと出てきたのには驚いた。あたたかい枯れ草のなかで身を潜めていたのに、気まぐれの掃除のために引っ越しを余儀なくして、申し訳ないことをした。

 国政は昨年からの重い課題を抱える。沖縄・普天間基地周辺で起きた米軍ヘリからの落下物の案件は、納得できる解決とはほど遠い。

「モリカケ」問題も大きな進展がみられない。森友学園の籠池夫妻はいまだ勾留中という。本来事情を聞くべき疑惑の主から話が聞けていないのに、これで真相解明ができるとは思えない。なによりも不当な人権侵害ではないのか。

 昨年の今頃、山城博治さんの不当逮捕・長期勾留に憤っていたことを思い出す。今週号の大髙正二さんのケースも異常としかいいようがない。裁判所が“憲法番外地”になってしまったのだろうか。

 その憲法を改悪する勢力との闘いも正念場だ。通常国会召集は22日。やるべきことはたくさんある。

立憲主義を守るべく

 昨日の本誌創刊24周年記念集会は、盛況のうちに幕を閉じた。

 第1部、9団体による「日中戦争から80年共同キャンペーン」には、「中身が濃い」という感想を会場で耳にした。師走の日曜日、1部、2部を通すと6時間を超える長丁場だった。ご来場いただいたみなさま、ありがとうございました。

 今年最後となる今週号には、櫻井よしこさんが登場してくれた。電話インタビューではあるが、「猪瀬直樹知事(当時)批判」以来だ。本来は先週号の特集で掲載できればよかったが、日程的にそれは叶わなかった。憲法観、国家観など、本誌と正反対の立ち位置にいる櫻井さんが本誌に登場してくださったことには、最大限の敬意を表したい。

 今年は、朝鮮半島危機や中国の脅威に乗じた日米同盟の強化や南西諸島への自衛隊配備などが進み、日本が根底から変えられていく危惧を抱いた。来年は憲法改正の発議、そして国民投票が待っている。立憲主義を守るべく、本誌もみずからの使命を果たしていくつもりだ。

エアーフェスタと戦時体験

「緊急発進は全国平均で1日3回。南西エリアがもっとも頻度が高いです。台風の中でも避けられません」「日本の空を守っているのですね。これからは飛行機の音がうるさいなんて思わないで」

 訳あって沖縄にいる。空自那覇基地で週末に開かれたエアーフェスタに行くと、ステージでこんな会話が。戦闘機の試乗コーナーで若い隊員に質問すると、実に素敵な笑顔で答えてくれた。

 その前日、基地の近隣で開かれた旧小禄村の戦時体験を聴く会で、元琉球新報社記者・平良亀之助さんの話を聞いていた。同村は「飛行場を中心に陣地が密集しているがゆえ」真っ先に空襲を受け、避難を余儀なくされたので、数字上の人的被害は少ない。だが避難先、「友軍」や民間人同士の「もう一つの戦争」で、筆舌に尽くせぬ苦難を舐めたという。

 今も戦時体験を掘り起こすのは執念に近い。二度と戦争を起こさぬためだろう。一方で、戦争をする軍隊をよしとする世論づくりがソフトに進められている。

追悼 印牧真一郎さん

 去年の今頃は、アイスラーの『戦争案内』や歌物語『魔法使いの弟子』をだしものに歌のあつまり“風”の仲間とコンサートを開き、悠々と指揮をしていらしたのに。

 オペラシアターこんにゃく座の制作に長年関わられた印牧真一郎さんが今年の4月に亡くなり、偲ぶ会がこの週末に開かれた。私は「ぶんか欄」担当以来のおつきあいだ。

 印牧さんは〈自分の声〉〈自然な声〉〈率直な声〉そして〈今の声〉を求めてこられた。2007年に東京・星陵会館で“風”の歌を初めて聴いた時は、ショックだった。

 人生のキャリアを積んだ人たちが借り物ではない、それぞれの声で、堂々と〈私の歌〉を歌う。実になまめかしくてゾクゾクとするのだ。それぞれの存在がそれぞれの言葉を持ち、響き合う。その時の力に気圧された。私はそれがとても政治的だと感じた。

 偲ぶ会でマイクを持ったお連れ合いのおしゃべりの楽しく心に染みいることといったら。共にすてきな人生を送られてきたのだろう。ちょっぴり羨ましかった。

戦争への“感度”

 ここまでとは……。自衛隊が米軍とともに国内外でここまで大展開をしていたことにいまさならがら驚く。これまで知らなかった、知ろうとしなかったことが恥ずかしい。

 今年92歳になった父親は敗戦まぎわに徴兵された。“海軍精神注入棒”とやらでお尻を叩かれた経験を子どもの頃聞かされた記憶がある。20歳そこそこの若者にとり、軍隊は特別な場だっただろう。

 仕事仲間に誘って貰って父とほぼ同じ年代の方と山に登ったことがある。夜中に大きな声をあげるかもしれないと事前に言われたけれど、真っ暗闇のなか、その方が大声で軍歌を歌い出したのには驚いた。軍隊で非常に危険な任務につかれていたという。だいぶ前に亡くなられたが。

 父親は最近、自分が行ったのは陸軍だと言い張る。「海軍さんが陸に登っちゃった」と母親は苦笑する。戦争が身体に刻まれた世代は少なくなり、戦争の記憶は薄れるばかり。だが、戦争への“感度”を、私たちが持ち続けることは可能だ。その愚かさを聞いた者として。