震災直後、さまざまな対策本部で議事録が作成されていなかったことが発覚し問題になっている。
 今さら取り返しがつかない話だ。
 議事録をとらなかった理由について政府はつまびらかにしていないが、
この話は以前政府に出向していた官僚から聞いたことがあった。

 この一件を文字にしていた気になっていたが、書いていなかったとは私もうかつだ。
 災害直後の混沌はあったのだろうが、昨夏に取材した某官僚によれば、議事録の不在の最大の原因は、「政治主導」だと言っていた。
 
 重要な会議には官僚を参加させず、口ははさませないようにしていたからだと言う。
 「政治主導」の是非はともかく、公文書として記録が残らないことに私も強い危機感を抱いた。
 某氏はこれはマズイと密かに手帳に記録をとり続けたという。
 どうにかメモを公開させようと交渉もしたが、クビ覚悟の話になるため叶わなかった。

 今民主党政権にはほかにやるべきことがありそれを優先してほしいが、法と国家をどこまで考えているのか、また疑問を抱いた。

 

芥川賞とやらが発表された

 芥川賞とやらが発表され、石原慎太郎都知事をおじいちゃん呼ばわりして痛快な田中慎弥氏が、日頃、権力者に臆病なメディアの代弁者として機能したために繰り返し報道されていたが、もう一人の円城塔氏の発言にも共感を抱いた。

 先週土曜日の情報番組内で、カネがなくて本が買えないから自分で書いてしまったと小説を書いた動機を語っていたことだ。
 それで書けるところが才能なのだろうけど。

 翌日曜日には、タレントの千秋が語る番組があり、おもちゃを買わない主義なので、子どもがバッグから、たまごっちから紙で自作して遊ぶと話しており、(実家が金持ちだし)楽しげだった。
 私は生家を見に奈良まで行くほど工芸家の富本憲吉が好きで、富本が襖の引き手まで陶器で作っていたことが印象に残っている。

 料理や日曜大工に留まらず自分で作れるものは自分でも作る、そんな自由さが好きだし大切だと思うが日本では不足気味か。
 小学校時代、ルービックキューブを、紙でつくった山下くんはいま何をしているのだろう。

(平井康嗣)

 子どもの生きづらさや育てにくさを実感したので民主党が子ども手当や高校無償化を掲げ、労働者派遣法改正に取り組もうとしたことに希望を感じた。
 同じような考えをもった人は多いだろう。予算も捻出できるとかつて野田首相は言った。
 今や予算は捻出できないということになっているが、本誌はしつこく希望を追求し続ける。
 しかしながら民主党は、新自由主義に突き進んできた自民党などの攻撃により、改革の旗を次々に降ろしてきてしまっている。

 この勢いだと消費税増税案を国会で通すために、公約違反を謝罪して解散しかねない。
 この挙げ句、子どもの生きづらさに抜け道がなくなる。
 野田首相の自民党コンプレックスかもしれないが、自民党ができなかったことをやろうとしているだけにしか見えなくなってきた。
 岡田副総理の “身を切る” も気にかかる。国会議員や官僚が多い大きな政府では利権や無駄が生じるという民主主義への不信が根底に根ざす。
 その不信感ゆえの「小さな政府論」だという点を押さえておきたい。

年末から消費税政局がメディアを騒がせている

 年末から消費税政局がメディアを騒がせている。
 消費税増税は視聴者の暮らしに直結するし、政局混乱は必至の主題。
 数字を稼ぎたいメディアが好むテーマなのだろう。
 
 先日、消費税導入に関わったという財務官僚の講義を聴いた。
 消費税導入について最後まで(主婦である)妻だけは説得できなかったという。
 つまり、消費税の肝は「説得」ではなく「断行」するか否かなのである。
 増税策で票をとることは今の日本ではきわめて困難である。
 そうなると妙な美学を抱える政治家ほど強行してしまうのだろう。

 消費税論議では年金や医療費など社会保障を削る話ばかりが出ているが、
少子化対策を真剣に施策しなければ、二〇年後、三〇年後の日本を支えることはできない。
 しかし政府への不信、暮らしへの不安がある。
 結婚もできず、子どももつくれない。
 独居老人も地域が支えられず病院漬けになる悪循環。
 今の日本社会に温かい血が通っているとはなかなか思えない。

 国民が何を政権交代に期待したのか、今一度考えたい。

(平井康嗣)

▼最終号校了直前に金正日総書記死亡のニュースが飛び込むなど、今年は激動の年だった。
ほぼ一年ぶりに、発行人(旧編集長)と現編集長が対談をしました。

編集長の平井(以下、平)三月一一日夜は電車が止まって帰れなくなったので腹決めて浅草でのん気に酒を飲んでいたのですが……。

発行人の北村(以下、北) どじょう鍋だろ。流行ってるらしいね。

平 ……いえ、あいにく。菅政権時代でしたし。あの大震災の記憶と後遺症はいまだに痛烈ですね。

北 本当にあらためて、お悔やみとお見舞いを申し上げます。『週刊金曜日』も耐震の問題で、年末に引っ越すことになったね。

平 ほかに入っている出版社の顔ぶれがなかなかで、ビルが左に傾き始めたと言われていますけど。

北 日本は地震国だから避けがたい天災は起きてしまうけど、東京電力の福島第一原発事故は人災だよ。刑事犯と言ってもいい。

平 原発労働者に聞くと本当に異常な労働環境です。放射能と戦う紛争地域のような職場ですよ。あれをいつまで続けるつもりか。

北 まさに。本物の戦場カメラマンは当日夜、福島に飛んでいたね。

平 事故はたくさんの人を被曝に巻き込み続けていますよ。
 私が住んでいた千葉県柏市は今や関東有数のホットスポットになってしまった。
 これでも事故は終結宣言、原発は続行ですからね。野田! 千葉は地元だろうが。

北 怒れ、怒れ。「3・11」以後、全国で反原発運動もこれまでになく盛り上がった。
 本能的な怒りだ。しかし今、原子力ムラの反撃で「革命」にまでは至っていない。

平 中国やインドの核抑止のために日米は原発を持ち続ける必要があると日米安保族は言い出すし。

北 核兵器と原発はつながるから根が深いね。
 米国病の人にとっても自主独立核武装派にとっても、原発は必要だからややこしいね。

平 原発文化人たちはさすがにおとなしくなりましたけど、確信犯かつ共犯者だった学者らは、動き始めていますよ。
 このままいくと放射能汚染や被曝の調査が牛耳られ、都合のよい東電福島原発史がつくられかねない。これはまずい。

北 脱原発革命に至っていないのはマスコミの責任が大きいね。

平 電力会社と仲良しだから事故を忘れたいじゃないですか。

北 地域経済では電力会社とメディアは有力企業同士だもの。
 拡声器であるマスメディアが忘れて社会で忘却が進む負のスパイラルは恐い。
 ぼくは「出前講演」で全国を回っているけど、放射能汚染に関する知識は記者顔負けの人が多いね。
 いまもって関心は高いよ。

平 行政や東電は、子どもの慢性的な低線量内部被曝対策をきっちりととる責任がある。
 彼らのために言うけど、インチキはばれる。母親たちをなめるなと言いたい。

北 その通り! ところで、震災のほかで特に記憶にとどめるべきことは、新自由主義の行き詰まりで「99%」革命が世界各地で起きたことだと思っているんだ。

平 「99%」って比喩は民が主人公という根源的な民主主義を取り戻そうという気配を感じますね。
 九月の反原発デモの際、大江健三郎氏の発言で私も同意したことは、路上に出る行為こそが直接民主主義だということです。
 投票用紙に意思を仮託すればいいという慣れ親しんだ行為を考え直すことも必要ではないでしょうかね。

北 とはいえ、脱原発国民投票一〇〇〇万人署名は集まってほしい。

平 ですね。しかしここ一〇年以上の新自由主義的繰り返しはウンザリします。
 既得権益だとか言ってルールや組織を破壊するコイズミやハシモトのような目立つ人物がいる。
 その一方で自分たちに都合よくひっそりと再構築していく目立たない連中がいるという構図。

北 憲法も改革気分だけで変えかねない。これもあぶない。
 ハシモト人気の源泉は公務員批判だけど、根っこには一連の公務員系労組へのバッシングがある。
 労組潰しが一貫して仕掛けられているね。

平 企業系の労組と違って公務員系労組は組織力で平和や人権を掲げられるから、企業や政府には目ざわりなんでしょう。

北 『週刊金曜日』もそうか。日本は変なマッチョ社会になっているから、女性をもっと進出させないとこの国は変わらないなあ。

平 新聞ならば社会部を大きくするとか、数で変えうることはありますからね。
 政治部や経済部がはびこるとダメだったでしょう?

北 ぼくは社会部時代、取材に行くと政治家や企業にいやがられたもんだよ。
 だからこそ意味があった。「3・11」でもう一つ明らかになったのは棄民政策だ。
 「市民より財界や米国が大事」という野田政権の本音が露骨に出た。
 棄民はTPPでも言える。農村を見捨て工業国化してきた成長神話にしがみついているけど、二匹目の野田、じゃなくてどじょうはいない。
 このどじょうはすくい難いよ。

平 派遣法も骨抜き改正されようとしている。
 経済的に不安定で結婚ができず子どももつくれない派遣労働者を増やしても、人口が減り、需要も減るだけ。
 悪循環です。

北 自殺行為だ。ずれている。政権交代の大義を完全に忘れている。

平 財界やメディアに合わない総理はすぐ交代。東電の勝俣会長のほうが身分が安定している。

北 「共犯になるが勝ち」のお仲間イジメ社会の真骨頂だね。
 とはいえ、このまま「99%」の怒りが鎮まるとはとても思えない。
 二〇一二年は日本でも何らかの「革命」が起きると思うよ。
 ともかく『週刊金曜日』は常に「99%」に寄り添ってきたし、これからもその姿勢を崩さない。

平 怒りの炎は消さず二〇一二年もやりましょう。

(文中一部敬称略)

 山下俊一福島県立医科大学副学長は、チェルノブイリ原発事故後にも国際協力をした日本を代表する専門家とされている。
 すでに刑事告発をされているこの人への疑問をあらためて思う。
 チェルノブイリの専門家をなぜ早く呼ばなかったのか。
 一一月にようやく千葉県がんセンターが第一人者を招いたという具合だ。
 原爆被害を受けた日本では外部被曝研究が中心だが、ロシアなどでは内部被曝の研究も熱心なのだ。

 またチェルノブイリでの失敗を教訓化して活かさなければならないはずだった。
 が、そうでもない。ある専門家によれば、肝心なのは事故直後の被曝情報だという。
 チェルノブイリ事故でも直後の情報はないという。
 山下氏が専門家であるならば事故直後に累積放射線量を測るバッジを住民に一刻も早く使用させなければならなかった。

 この情報が子どもの治療や補償につながるはずだった。
 一連の不作為が故意か過失か検証されるべきだろう。能力のない “専門家” に被曝事故調査を握らせてはいけない。

 流行語大賞が発表されたが、今年は呆れた。
 どうでもいいと思うが、これが文化として残っていく。
 大賞のなでしこジャパンは確かに私の好感度も高い。「どや顔」もしないし。

 問題だと思うのは原発関連の言葉が「風評被害」しかないのかということだ。
 これはあまりにも恣意的すぎる。
 ちょっと考えても、「福島第一原発」「ただちに人体に影響はない」「内部被曝」「シーベルト」「暫定規制値」「ホットスポット」「出てこい清水」「班目でたらめ」「脱原発」など、
ちょっと偏向しているのかもしれないが、今年定着した言葉はいくらでもあるはずだ。

 帰宅難民より「自主避難」が深刻だ。ラブ注入より「海水注入」に世間は釘付けだったはずだ。
 米国ですら海渡雄一、福島瑞穂夫妻を「グローバルシンカー」一〇〇人に選んでいる。
 理由は脱原発だ。

 ついに流行語大賞は「メルトダウン」したのかもしれない。
 あれ、審査員には姜尚中さんと鳥越俊太郎さんがいるのか……。バラエティ化を極める日本が怖い。

誌面が占拠された!

 誌面が占拠された! 雨宮処凛に松本哉って破壊力あるな。

 しかし『週刊金曜日』はお金持ちじゃないし、ウォール街に縁はないというのに。神保町すずらん通りでのカツカレーを楽しみにしているぐらいである。

 でもOccupy(占拠)されなければ生まれない特集になった。読者諸氏はどう思いましたか。

 憂鬱になる大阪W選挙があったが、選挙より占拠。そんなことを考えた現代美術展をいつか水戸芸術館に観に行ったことを思い出した。
 ただの駄洒落かと思っていたが、まさか現実化しつつある。

 政治にうんざりした世界の「99%」は無政府を超えている。無秩序の中に秩序を模索し、不信の中に信頼を産み出しつつある。
 直接民主主義という言葉でしか今のところ表現できない人びとの主体的な衝動の芽を見逃してはいけない。流行の表現で言えば、直接民主主義2・0はあるのか。

 占拠は私たちが飼い慣らされているニセの所有やニセの民主主義に対してついに噴き出したアレルギー反応なのである。

(平井康嗣)

私たちが消費する基準はまずは価格が安いことだろう

編集長後記

 私たちが消費する基準はまずは価格が安いことだろう。同じ価格ならば品質がよいもの。商品が公正か、倫理的かの優先順位はかなり低い。ただ最近の日本では安全かどうかを価格以上に気にする場合もある。とはいえ、このような指標は曖昧である。牛肉の放射能は気にしても、BSE検査を気にしているか。そう考えると価格が持つ情報への依存度が増すようだが、価格と価値は別物だ。なぜコメはいつも五㎏一九八〇円、一〇㎏二九八〇円なのか。スーパーが決めて、消費者も思いこんでしまっているからだ。

 世界的競争力のあるらしい「ユニクロ」がなぜあの品質の服をあの安価でつくれるのか。それは海外まで行かなければわからない? 自由貿易の原則、いや製造業のセオリーから言っても安い労働力と材料しかない。日本でも強い農産品で対抗できるとTPP推進派は言うが、八二五号の大野和興氏の記事によれば、ブランド産地の多くを支えているのは一人前の労賃を払う必要のない中国人研修生たちなのである。 (平井康嗣)

 超格差社会を生んだと批判されている新自由主義思想は一言でいえば「小さな政府」、
二言でいえば「法の支配」と「市場経済」だろう。

 最近、この新自由主義の復権という声がまたぞろ聞こえてくる。
 ごく一部だが。新自由主義をきちんと実施していないから現在の混乱があるというが、効かない薬は効くまで飲めというサギ論法である。

 しかし、そもそも特定の思想を政策として完全に実施することは不可能である。
 可能だという主張は、理性万能で設計主義的である社会主義的発想だ。
 ハイエクら新自由主義者は、そういってマルクスやケインズを「大きな政府」だと批判したはずだが。

 そんなマルクスはかつて次のように行きすぎた資本主義を分析している。
「ブルジョアジーは、支配権をにぎったところではどこでも、封建的、家父長制的、牧歌的な諸関係を、すべて破壊した」
(『共産党宣言』大月書店)。階級的対立論にとどまらない視座がある。思想や政策はたいがい批判から生まれるが、過去との断絶はいけない。(平井康嗣)