編集長コラム「金曜日から」 編集長のコラムを公開しています。

憲法21条を体現

 少し汗ばむ季節になった。肌寒いころからの私の日課は湯船で内山宙さんの『未来ダイアリー』を眺めること。別に仕事先に義理立てしているわけでなく、末尾の現行憲法と自民党憲法改正草案の対照表が使い勝手がいいのだ。

 21条の「集会・結社・表現の自由」に目がとまる。私なんぞ小賢しく「表現の自由」ばかりがついつい口をついて出るが、集会・結社の自由と並び立つと立体感というか奥行きが出てくる。「集会・結社の自由」は、共謀罪の新設が審議されている今だからこそ、その意味をかみしめる。

 最近感動した集会は東京都内で開かれた「2・19総がかり行動――格差・貧困にノー!! みんなが尊重される社会を!」だ。(参加できなかったので後でユーチューブで見たのだが)教育学者の本田由紀さんが腹の底からわき起こる怒りを全身で表し、文字通り、吠えていた。ちょっと涙が出るくらい、真剣で、まっとうで、堂々としていた。21条をかっこよく体現している。その場にいなかったのが実に残念だった。

アジアの一員として

 通勤途中、近くにある保育園の子どもたちのお散歩にでくわした。天気の良い日はあちこちで子どもたちの姿をみかける。そういえば4月になってからは初めてだ。手をつなぎ、なんだか楽しそう。新しいクラスのお友達や先生にようやく馴れてきたのかな。

 ほんわか気分で会社にくると、米国と朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)との関係が緊迫しているということで緊張が走る。外部のライターさんと逢っても話題はきな臭い話ばかり。在日米軍基地の近隣に住んでいる人から「湾岸戦争の時を思い出した」とか、国内の××が危ないとか。

 今週号、ジャーナリストの田岡俊次氏は、米国による「先制攻撃は困難」「威嚇の域を出ない」とみている。ひとまずほっとする。が、日本はなぜ狙われる? 日米安全保障条約に由来するわけだ。たとえば日本がアジアの一員としてできることはないのだろうかと考える。周りを振り回すことがお好きのトランプ大統領に追随して、自らを危険に晒す。今後もそれでいいのだろうか。

国鉄民営化30年

 打ち合わせから戻ると、シリアのアサド政権軍の基地を米国が攻撃したというニュースが飛び込んできた。米国・共和党のなかにも異論はあるようだ。“オルタナ・ファクト”を唱えるトランプ大統領だが、今回はどんな事実にもとづき行動を起こしたのだろう。

 日本では、先のイラク戦争の検証もすんでいない。情報公開訴訟が一昨年に提起され、次の弁論が6月13日、東京地裁で予定されている。

 今週の特集は国鉄の分割民営化からの30年を検証した。

 国労といえば、昨年末に東京南部読者会で講演された福田玲三さんを思い出さずにはいられない。1949年から国労に在籍され、メーデー事件、松川事件、三鷹事件などの裁判にも関わられた。戦後労働運動の生き字引のような方だ。

 いずれも権力によるでっちあげだが、松川事件を共に闘った友人が晩年口にしたという「日米帝国主義と闘って勝ったんだからなあ」という言葉が印象的だった。それにしても、労働者はどうしていつも理不尽な闘いを強いられるのだろう。

あわただしい

 年度変わりは何かと慌ただしい。国会は安倍首相をはじめ、有力な政治家、官僚の関与が疑われる森友学園問題がまだ解明にはほど遠いにもかかわらず、共謀罪が審議いりということだ。また、教育勅語をめぐり「憲法や教育基本法等に反しない」形で教材として使用を認める閣議決定がされたとのこと。「憲法や教育基本法に反しない」って何なの?

 3月17日号で佐高信編集委員が取り上げた住井すゑさんの「水平社宣言で読み破」るという使い方が念頭にあるはずもなく、不安が募る。

 個人的にも、せわしなく、東京の桜は今が見頃ではあるが、花見もままならない。大っぴらに言えないが、この季節にやるべきことの一つにベランダにあるすずめの巣箱の掃除がある。新しい“住居人”が5月には入り、子育てに励む。3世帯続けてご入居されるので、その前の準備というところだ。

 そうそう、この週末に家を離れた息子が置いていった“ぬか床”のお世話も待っている。かびさせないように、きょう、キュウリを1本漬けてみた。