編集長コラム「金曜日から」 編集長のコラムを公開しています。

白川司郎氏が、損害賠償請求を起こしてきた。

編集長後記

 白川司郎氏が、昨年一二月一六日号掲載記事を執筆した田中稔氏に対して、約六七〇〇万円の損害賠償請求を起こしてきた。

 ヤメ検の土屋東一弁護士から筆者へ先週訴状が届いた。白川氏を記事で取り上げると十中八九訴訟を起こしてくるということは業界では知られており、『FACTA』なども係争中だ。そのため記事は公開情報に基づく解説として慎重を期したのだが、訴訟を起こすことまでは止められない。大変な迷惑である。当然本誌は闘う。

 白川氏はニューテックという原発警備を受注している会社の元代表で、この会社はもともと㈱日本安全保障警備として警視総監経験者を中心に発足した。原発警備といっても六ヶ所村の核燃サイクルの警備である。原発の最大の敵は今は地震だろうが、以前はテロだった。北朝鮮がテポドンを打ち上げ、日本でもテロ対策が政治家や警察関係者の間で叫ばれて原発に膨大なカネが注ぎ込まれた。

テロ、地震、暴力団対策。日本人はもっともらしい大義名分に支配されすぎだ。 (平井康嗣)

原発震災から一年の福島を訪れて澱のように溜まった言葉がある。

編集長後記

 原発震災から一年の福島を訪れて澱のように溜まった言葉がある。

「分断」である。「福島を分断しないでほしい」という訴えをたびたび耳にした。避難する人、避難した人、避難しない人。被曝を見ようとする人、見ないようにする人。津波被害を受けた被災地とは違う、原発と放射能という存在が人の暮らしを今も縛りつけている。

「分断」という言葉は、数年前に普天間飛行場の代替施設問題で名護市を取材していたときにも痛々しく耳にした。原発と米軍基地は似て非なるものと踏まえてはいるが、今、原発をめぐっても住民投票運動が熱心になされており、名護市では基地受け入れについて一九九七年に市民投票を実施した。建設反対過半数の民意が示された。これで飛行場誘致について分断が解消されるかと思えた。その結果どうなったか。建設派の比嘉鉄也市長は辞任し、市長選が実施された。今度は建設派市長が誕生したのである。

 どちらも「民意」の反映だろう。民主主義は「分断」を解消しえるのだろうか。 (平井康嗣)

先週末、福島県郡山市では原発と被曝をテーマにした催しがたくさん開かれ全国から多くの人が訪れた

 先週末、福島県郡山市では原発と被曝をテーマにした催しがたくさん開かれ全国から多くの人が訪れた。
 そこで久々に早尾貴紀さんに会った。

 早尾さんは三〇代のパレスチナ・イスラエルの研究者。昨年三月一一日まで仙台に住んでいたが、東電福島第一原発爆発直後に戻らない決意で大阪へ避難。
 現在は山梨を拠点に暮らす。
 当時はあの混乱状況でバスまで手配して周囲へ避難を呼びかけていた。
 いまでは子どもの内部被曝を避けるために福島市、須賀川市、今回の郡山などで相談会を開き、避難や保養について親身なアドバイスを続けている。

 相談会に来たある母親に私も話を聞いたが、子どものために避難したいが夫や親が障壁となって春休みは山形への「保養」で子どもの被曝を軽減するとのこと。
 「避難したいのに事故から一年が経ってしまった人が今日来ているわけです。
 webで情報を載せてもダメ。丁寧に話を聞かないと」と言う早尾さんは、これから避難希望の家族を山梨に連れて行くのですと、急いで会場を後にした。

  (平井康嗣)

河村たかし名古屋市長の“南京大虐殺はない”発言について

編集長後記

 河村たかし名古屋市長の“南京大虐殺はない”発言について、「あれは河村さんの枕詞だぎゃ」と、傍観する市長と親しい記者もいるが、友好都市市長として重みが違う。

 一方、南京大虐殺を調査してきた人の間では、いまさらバカバカしすぎて反論する気も起きないという空気も漂っている。さぞ中国側も呆れているのだろうと思っていたが、知人は予定していた南京での学術交流を断られたそうで、すでに実害が発生していた。

 さらに呆れたのは石原慎太郎「バカ」知事の援護射撃だ(「バカ」知事とつけているのは、「本多勝一バカ」発言をしたという意味で、石原知事が「バカ」だと言っているわけではない。ただし「バカ」ではないとも言っていない)。話をはぐらかすのが上手な「バカ」石原知事は、結局、引用元を誤読して「バカ」発言していたことを露呈している。どういう文章理解力なのか。長年、この認識でいたらしい。

「バカ」知事が芥川賞の選考委員を辞退したのは、「バカ」発言の前触れだったか。気づかなかった。 (平井康嗣)

先週、若手美術家の展示会を観に行った

 先週、若手美術家の展示会を観に行った。
 どの職業よりも敏感に目に見えないなにかを形にする”炭鉱のカナリア”のごとき美術家には敬意を抱いており、特に現代アートには足を運ぶようにしていて楽しみにもしている。

 だが、作品を次々に見ていると、次第に苛立ちが湧いてきた。
 若手で技術が稚拙だからという理由ではなかった。
 ほとんどの作家が3・11など存在しないかのように作品を作っているとしか思えなかった。

 私の感受性に問題が生じたのかとも内省した。
 やはり3・11を無視してもよいし、社会派的なコンセプトを巧妙に取り入れれば市場迎合的だと逆に鼻につく。
 純粋な存在である美術ならではの向き合いがほしかった。

 以前、山本太郎さんがテレビを観ても感動しなくなったと言っていたが、
私の場合は美術にその怒りを感じていた。期待と裏腹だからだろう。
 きっと私の網膜は精神的な内部被曝をして変質したのだ。
 いまだに放射性物質は私の眼に見えないが、一年前と違うなにかが見えるようになった。

(平井康嗣)