編集長コラム「金曜日から」 編集長のコラムを公開しています。

今週号の特集では税や経済政策の問題を扱っている

編集長後記

 今週号の特集では税や経済政策の問題を扱っているが、富岡幸雄さんは法人税を法定正味税率(いわゆる法人税)と実効税負担率(実際にどれくらいの税負担があるかを独自に試算したもの)にわけて後者の数字を使って法人税のカラクリを暴いている。富岡さんの「財界直営型内閣」という指摘はまさにその通り。

先日、東京第二弁護士会主催の講演会で経済アナリストの藻谷浩介さんが、統計を実証的に分析した結果、円安誘導のアベノミクスは経済的に意味がないからやめろ、と話していた。GDPに占める個人消費の割合は約6割。個人消費が景気の要だ。個人消費のうち小売販売額は就業者数に比例する。人口は政策的に増やせない中、就業者数や賃上げを維持しないと経済は衰退する。

 しかし円安で企業の支払いが増えている。円高に戻し賃金の原資をつくらなければならない。金持ちも節約しないでカネを使う。消費増税も消費を冷やす。税を上げて歳入歳出を健全化する財政の話と、経済を底から動かす話は別なのだ。 (平井康嗣)

森達也さんと中村文則さんの対談では絶望が足りないとの呟きがある

編集長後記

 今週号の森達也さんと中村文則さんの対談では絶望が足りないとの呟きがある。小誌でも廣瀬純さん、辺見庸さん、佐高信さんと「絶望」が言及される機会が増えている。

 なぜだろう。「絶望」が足りないからだろう。絶望が足りないとはなにか。「希望」という嘘を嘘だと考えない不誠実のことである。嘘と知りつつ乗っかり、まあいいかと棚上げするのが人だ、そんな無根拠な格言もあろう。人は弱い。超人ではない。王様は裸とは言えず、天国も地獄も虚構だと思わない。国家や秩序、運動や組織を乱す考えを抱いても表明するのが怖い。ただ当たり前のことを誠実に言う行為で精神に痛みが走る。だから「信じよ」と強く語る人を信じ痛みも転嫁する。神の代わりに概念を創造し、知識人は嘘を合理化し歴史を美化する。

 私も痛みに恐怖して言えないことだらけ。人類はこの思考する痛みに耐えられない。数千年の思索の歴史が自明している。それでも思索し気の利いた発言を表明しようとする私も絶望から逃げる不誠実者であろう。 (平井康嗣)

電通は、21世紀を節目に新社屋建設と株式上場という“大事業”をした。

編集長後記

 野党時代の安倍晋三に献金をしていた大手広告代理店の電通は成田豊体制の下、21世紀を節目に新社屋建設と株式上場という“大事業”をした。その結果、株価をにらんで短期的な成果を求められるようになり、怪しげな面が消えて仕事が小粒になったと、電通OBが複雑な感情を吐露していたことを思い出す。上場会社になり資本主義を強めた結果だから皮肉である。

 久米宏がキャスターを務めた大型ニュース番組「ニュースステーション」は電通が広告枠を買い取って始めた。これは業界では美談であり、久米は2004年3月、番組の最終回に電通に謝辞を述べた。その際、次のようにも語っている。〈僕、この民間放送は大好きというか、愛していると言ってもいいんです。なぜかというと日本の民間放送は、戦後すべて生まれました。日本の民間放送は戦争を知りません。国民を戦争に向かってミスリードしたという過去は、民間放送にはありません。これからも、そういうことがないことを祈っております〉
(平井康嗣)

〈中谷元防衛相は「文官統制」が規定されたのは、戦時中の軍部独走の反省からか、との質問に

編集長後記

〈中谷元防衛相は27日の閣議後記者会見で、防衛省設置法に「文官統制」が規定されたのは、戦時中の軍部独走の反省からか、との質問に「そういうふうには私は思わない」と述べた。
 中谷氏は、文官統制導入の理由や経緯について重ねて尋ねられると「私はその後生まれたのでよく分からない」と述べた。〉(共同通信2月27日ネット配信)

 保守本流とされた宏池会出身の肩書が泣く発言だ。大臣は防衛大学校卒かつ陸上自衛隊出身だが、そこでは文官統制について教えなかったという告白となる。私は大臣よりも後に生まれたが、大日本帝国憲法下の戦争の反省から、現役武官を閣僚にしないという現行憲法の「文民統制」は大学で知った。

 自分らに都合の悪そうな歴史や事実を軽視する姿勢は今の自民党を象徴する。歴史を独善的に解釈する安倍首相は、原発事故は「アンダーコントロール」、「日教組は補助金をもらっている」と妄想を時折開示する。ほかにも独善的な思い込みは山ほどあるはずだ。 (平井康嗣)