編集長コラム「金曜日から」 編集長のコラムを公開しています。

太郎冠者

 その昔、そのムラにはよい太郎と悪い太郎がおったとさ。よい太郎はその後ムラから離れ、悪い太郎(の一人)はムラの長に重用され、日の出の勢いという。さて、河野太郎さんがどちらの太郎か──はさておき、この度新型コロナのワクチン接種推進担当大臣に就任、特設サイトやツイッターで「ワクチンに関する正確な情報をわかりやすくお届けする」と張り切っている。

 河野さんと言えば、ツイッターでいろんな人をブロックしまくってきた。身近なところでは本誌編集委員の想田和弘さん(「オレ、河野太郎と絡んだことあったっけ?」)。昨年の今頃は、「政治時評」執筆陣の阿部岳さん(「絡みに行ったことはなく、批判をツイートしたことがあるだけ」)。

 外務大臣のときは、気に入らない(?)質問を露骨に無視して「次の質問」とやったこともあった。

 今度の役職、“好き嫌いでブロック”では困る。そもそも菅義偉首相は厚生労働大臣の田村憲久さんになぜ任せない? ひょっとしてあの太郎冠者が後継者?

怒りが募る

鼻出しマスクで、先週末実施された大学入学共通テストの受験生が成績無効になったという。状況はわからないが、続報によるとその後、さらに残念な展開になってしまったようだ。別室での受験とかですめばよかったのだが。

 国会では新型コロナ対策として、新型インフルエンザ等対策特別措置法、感染症法などの改正案が審議される予定だが、強権的なものを感じている。感染者が入院することもかなわない現実があるのに、入院拒否で懲役刑や罰金? 十分な補償がなされたとはいえないのに、知事の命令に違反した事業者に過料?

 今週号でジャーナリストの永田政徳氏が書かれた「『選挙の顔』は菅首相でいくのか」を読むと、めらめらと怒りが募る。自らの利権者の利害を優先して感染を拡大させた人間にはおとがめなしで、市民には厳罰でのぞむなんてことが許されるのか、と。

 先日、来客があった。ノーマスクだったので(失礼ながら)ギョッ。会社のマスクを早速お渡し、つけていただいた。一件落着。

処方箋

 貧富の格差が拡がる。

 新型コロナウイルスの感染拡大でアマゾンは大幅増収。本誌先週号によるとCEOは毎日資産を約10億円増やしているという。また、保有資産10億ドル以上の世界の超富裕層はこの1年ほどで資産を200兆円増やし、あふれた資産が株価を上げ、富裕層がさらに豊かになっているという(『日本経済新聞』12月21日付)。

 別世界の話としか思えない。コロナ禍で職を失い、公助も受けられず、厳冬の中、寒さと空腹に耐える人たちがこの国にも多くいるのだから。

 元日の『毎日新聞』によると、日本の富裕層は、国内未承認の中国製の新型コロナワクチンを打ち始めているという。コロナ治療薬のアビガンも未承認だが、有力者の一部はコネで手に入れ、感染の早い段階で服薬しているという話を以前、関係者から聞いた。

 その効果やリスクはともかく、経済力で健康や命も左右されるという実態を思い知らされる。ワクチンも治療薬も必要だろうが、まず社会の不公平をただす処方箋を、政治に求めたい。

春の道

 年が明けて4日、東京の朝は清々しい。だが、新型コロナウイルスの感染拡大、経済の行き詰まり、貧困の深刻化……、これまで以上の困難が立ちはだかっているように見える。そんな不安を抱えたこの年末年始、口ずさみ慰めになったのが韓国の詩人・鄭浩承(チョン・ホスン)さんの「春の道」だ。

「道の終わるところにも道がある 道の終わるところにも道となる人がいる 自ら春の道になり果てしなく歩く人がいる 川の水は流れてやみ 鳥は飛び去り戻らず 天と地の間のすべての花びらが散っても 見よ 愛が終わったところでも 愛として残っている人がいる 自ら愛になり 限りなく春の道を歩いていく人がいる」

 昨年4月24日号本誌の「ヒラ社長が行く」で植村隆発行人が紹介している詩だ。それを本誌読者のAさんが墨で清書して、贈ってくれたので、会議室のボードに掲げていた。それを胸に刻みつけた。

 日々の雑誌づくりのなかで大切なものを読者の方とリレーをしながら繋いでいく喜びを、噛みしめる。