編集長コラム「金曜日から」 編集長のコラムを公開しています。

自由な風の歌

 東京五輪は強行突破で開催されたが、東京はいまもさまざまな行事が緊急事態宣言下で開催困難な状況だ。

 今週号「言葉の広場」欄に投稿された安並真智さんは、「愛と平和を歌う」神奈川・川崎の合唱団で活動をされてきた。この7月、1年半ぶりに無観客ながらマスクをつけて舞台に立った喜びを綴られていた。

 本誌で毎年紹介している、「君が代」の伴奏や斉唱を拒否した都立高校の教員を支援するための「コンサート・自由な風の歌」。1年ぶりの今年は9月17日18時~、杉並公会堂大ホールで開催される予定だ。恒例の「自由な風の歌合唱団」も結成された。

 緊急事態宣言により練習を中止しながらも、最後の4週間の追い込みで歌えるようにチャレンジするようだ。崔善愛編集委員のピアノや飯村孝夫さんのバリトンなどが聞ける。飯村さんが前回歌われた「ケ・セラ」などのメドレーは観客席で聞いた。あのしみじみとした味わい、今も胸に残っている。
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スペシャル

 今週は、東京五輪開催にあわせて祝日が移動したために、13日(火)と16日(金)がそれぞれ7月16日号、23日号の本誌校了日となり、編集部はおおわらわだ。結局、30日号もあわせた3号分の原稿やら校正刷りやらが、変則的な進行で同時に動くので、頭の中がこんがらがってくるのだ。

 いつも頭の中が整理されている同僚のYさんまでそんなことをぼやいているのを聞くと、常に頭の中がこんがらがっている私などは、「おおっYさんも遂に?」と聞き返してしまう。単純にお仲間増えて嬉しがっている場合じゃないのですが(へへ)。無事にこの号がみなさまのお手元に届くことを願っています。

 今週号はそんなことでスペシャルな号になったと自画自賛している(へへ)。講談特集は月刊誌のようにじっくりつくった。作家の赤川次郎さんインタビューは逆に緊急の対応となった(赤川さん、ありがとうございました)。植村裁判の総括は、提訴の前から事件を追ってきたので7年にわたる報道の総決算だ。

サバイバルゲーム

〈政府が行っているオリンピックやパラリンピックの水際対策をザルやザルや言うておる奴がいるが、ええ加減にせえよ!〉
〈ザルに失礼や〉
〈1本たりともそうめん通してへんぞ〉。

 せやろがいおじさんもSNSでそう酷評する政府の水際対策。故意に穴あけにしているとしか思えない杜撰さ。東京には四度目の緊急事態宣言が発令中だが、市中感染対策も不十分。要請に従わぬ飲食業者を懲らしめることには積極的で、取引先の金融機関に働きかけを求めた。撤回はしたものの、政府の品性下劣さを曝け出すだけだった。

 このままいくと、“ぼったくり男爵”や“ピンハネ××”らにいいようにされた五輪として歴史に名をとどめることになるのだろうか(五輪自体の問題が露呈してるのだが)。それでもいい。新しい変異株が発生して、多数の犠牲者が出なければ。酷暑による熱中症も心配。これではサバイバルゲームじゃないか。

 このおかしな騒ぎの一方、「風速計」が報じるように、命を危機にさらす別の事態が生じている。

守れる命

 7月2日夜から3日の記録的豪雨により、静岡県・熱海市において発生した土石流では、(7月6日現在)4人の死者が出て、20人以上の安否不明者がいる。亡くなった方には哀悼の意を捧げ、被災された方にはこころからお見舞いを申し上げます。

 1年前の7月3~4日の豪雨で熊本県球磨川が氾濫し、大きな被害を出した。自然災害が毎年、この狭い列島で繰り返すのは、近年の気候変動が影響しているのだろうか。

 中国地方に赴任した新聞記者から、以前きいた話を思い出す。自分が住んでいる地域が大規模に開発され、土砂崩れの危険性があると、地域住民のひとりが熱心に訴えてきた。

 だが、そのときはやり過ごしてしまった。その後、実際にその地域に大規模な土砂災害が発生。ほどなくその住民の方が災害に巻き込まれ、命を落としたことを知ったと。「なぜ、あのときもっと親身に話をきかなかったのか、なぜ行政に掛け合わなかったのか」悔いが残るとも。防げない災害はあるが、守れる命もある。

記者を逮捕

 本当に驚くことばかりだ。『北海道新聞』の新人記者が旭川医大の学長解任を議論する会議を取材中、逮捕されてしまった件だ。詳しいことは今週号アンテナ欄をみてほしい。

 公益目的で取材をしていて、著しい行き過ぎがあったようにも見えない。なのに、なぜ「逮捕」なのか。

「メディアで働く女性ネットワーク」(WiMN)が6月28日付で「抗議声明」を出している。まったく賛同する。

「記者といえども法律を破ったら逮捕されるのは当然」というバッシングをネットでは多数見かけた。公共の組織であるにもかかわらず情報を出さない大学に執拗に迫るのは、市民の「知る権利」に資する取材活動ではないのか。

 2016年の8月20日、沖縄県東村高江の米軍ヘリパッド建設の資材搬入の工事車両を止めようとする市民らを取材していた『琉球新報』と『沖縄タイムス』の記者を機動隊員が拘束し、取材妨害した事件を思い出す。妨害が昂じて今度は「逮捕」? と思えてしまう。