編集長コラム「金曜日から」 編集長のコラムを公開しています。

本誌ルポ大賞で重装備精神病棟を題材にした作品が佳作に選ばれた

 本誌ルポ大賞で重装備精神病棟を題材にした作品が佳作に選ばれた。
 私も六、七年前、病棟に入ったことがある。

 編集部にはいろんな電話がかかってくる。
 ある日、電話をとると、英会話学校の営業だった。
 切ろうとしたが、私の仕事を話すと興味を持たれ、会うことになった。
 そうしてバングラディシュ人のアンディ(仮名)と出会った。

 彼はもともと中古車輸出の会社経営者だったが、微罪で警察に捕まり職を失った。
 反抗的だったため施設で暴行を受け薬も打たれたという。
 そこで事件の調査を始めたが、しばらくすると病院にいると連絡が来た。
 酒を飲むと自失し、女性に抱きつき、住居侵入もし、警察沙汰になっていた。
 薬で精神を蝕まれたようだった。
 病院は小平の閉鎖病棟。厳重な扉の向こうは異空間だった。
 彼は「おれはこのひとたちとちがう。にもつあずかって」と頼んできたが、私は「そこまで付き合いきれないよ」と見捨てた。

 その後、一度だけ電話があり、今は消息不明だ。私はどうしたらよかったのだろう。 (平井康嗣)

今週号の特集では震災や低線量被曝に対する「女子」の気持ちが語られている

 今週号の特集では震災や低線量被曝に対する「女子」の気持ちが語られている。
 男が母子や妊婦(と明記はされていないが)ばかりを救済対象としているということへの、単身女性たちからの異議である。
 これまで「福島女子」が表面に出てこなかったのは「男性側に偏った社会」が原因だと対談では語られているが、本音はもっとありそうな気もする。今後に期待だ。

 母子といえば昨年、文科省前にもつめかけた母たちの”一揆”は素直に共感を呼んだ。
 しかし対談を読み、その行動にすら男支配の影響が潜んでいるのかと過剰すぎる疑いも湧いた。
「家事」と「育児」は女の仕事という社会の延長線上にもはまる行為だからだ。
 ただ、母子を難詰するつもりはもちろんなく、むしろ腰のひけた多くの「男」や「父」たちの存在が浮かび上がる。
 政治、社会、哲学、芸術、宗教まで男が支配し、現在をもたらしたのか。
 とりあえずボーヴォワールが愛した浮気男・サルトルを読み返そうか。
 人は真に自由になりえるのか、などと。

(平井康嗣)

九月は希に見る政治的イベント集中月間だ

 九月は希に見る政治的イベント集中月間だ。
 今それらは不毛な領土問題や排外主義へと安易にも収れんされ、本誌も誌面を大きく割いている。
 九月一七日は日朝平壌宣言から一〇年(朝米関係は続いていたというのに、日本は対話拒否で経済制裁も強硬)。
 九月二一日民主党代表選(野田首相には地元で落選運動も起きる始末)。
 二二日公明党代表選(こちらは無投票再選か。マスコミもさわらぬ神になんとやら)。
 二六日は自民党総裁選(「総裁」という時代錯誤で偉そうなのが自民党らしい。どうせなら「総統」はどうか。しかし谷垣氏は割を食った)。
 二九日は日中共同声明調印四〇年(「NO」と言える親台派の知事は実は親米ではないかと最近思う)。

 これらが絡み合い、いや絡み合うように政治家やマスコミによって社会の流れがつくられてきた。では当事者はどう思っているのか。今週号に登場した石垣島の漁協組合長や遺族会関係者は、勝手に利用しないでほしいと言っているのである。

今週号は児童養護施設での子どもの虐待を扱った

編集長後記

 今週号は児童養護施設での子どもの虐待を扱った。家庭で虐待を受けた子どもが、逃れてきた先でまたも暴力を受ける。または暴力を受けている姿を見る。それは「絶望」である。しかしタブー視されるのか、あまり報じられてこなかったという。

 表紙には特集企画と偶然時期の合った韓国映画『トガニ』の一場面を拝借させていただいた。貧しく、親もおらず、知的障がいや聴覚障がいを持っているという、行き場のない子どもの悲しい物語だ。実話を原作にしているため、大ヒットした韓国では国民を突き動かす事態になったという。圧倒的に弱い存在に人は残酷さや差別意識を剥き出しにできるし、闇に葬ることもできる。そんなことをする人間を何人か見たことはあるが、本当に許せないゲスである。

 もちろん「施設」は基本的に救いの場だ。日本では最近『隣る人』(刀川和也監督)という長年「施設」を取材したドキュメンタリー映画も公開された。子どもが持つ愛らしさ、親の大切さが本当によく伝わってきた。 (平井康嗣)