編集長コラム「金曜日から」 編集長のコラムを公開しています。

新しい企画を検討

 北原みのりさんの連載「メディア仕分け人」の再開や再登場の声を度々いただきますが、今年1月9日号の奥付で告知したように連載は終了しています。北原さんからはこのたび読者のみなさんに「これまで読んでいただき、ありがとうございました」とメッセージをいただいています。

 連載終了のきっかけは1年前の12月3日、わいせつ物公然陳列の疑いで北原さんが逮捕された事件です。その際、小社ではホームページ上に【ろくでなし子さん、北原みのりさん逮捕への抗議声明文】と題する声明を出しました。

 その中で北原さんの逮捕容疑に関する事実関係に間違いがあり、修正はしたもののご迷惑をおかけしてしまいました。この点について、北原さんにあらためてお詫びいたします。しかしながら、その後、北原さんとご相談し今後は新しい企画でご登場いただくことを検討しています。

 先週も知人のジャーナリストが恐喝未遂容疑で逮捕されました。しかし有罪と宣告されるまで無罪と推定するのが近代法の基本原則です。

フランス同時テロ

 10月9日号の書評で石井千湖さんが紹介したことで知ったミシェル・ウエルベックの『服従』を読んでいた折り、11月13日にフランスで同時テロが起きた。

『服従』では極右政党に対抗するため社会党とイスラム政党が手を組み、イスラム政権が誕生する。政権は国民を豊かにする一方で個人主義や自由という近代フランスいやヨーロッパ的イデオロギーを脱臼していく。ノンポリの主人公の視点で物語られる近未来小説だ。

 今回犯行声明を出したIS(イスラム国)とイスラム社会の間には線を引き整理する必要があるが、そう捉えない人も多いだろう。結果、現実世界においては小説とは真逆にイスラムや難民流入に対抗するために排外的な極右政党が反動的に支持を集める可能性が高まったのではないか。

 日本は大量破壊兵器がないにも拘らず政治的な直感のみでイラク攻撃に加担した。その罪を不問にするためにも、自公政権は軍事協力外交を進めるだろう。もはや、ノンポリこそ考えなければいけない時代になっている。

春画と市場

 先週訪れた永青文庫の春画展は話題になっているだけあって大混雑していた。絵について猥褻か否かという読み方だけで鑑賞することは味気なく皮相である。しかしあえて議論に乗れば、夫婦連れや女性が観客に多いという事実をもってして、そのような問いは陳腐化し始めているのではないか。猥褻の近代史は男性が支配する、男性視線の歴史でもあっただろうから。

 いっぽう私は春画を眺めていて「まったく市場の産物ってのはつくづく差異、差異、だ」と的外れなことを考えていた。平安にはじまる性交画は江戸末期へと時代が進むにつれ、表現は多彩になる。これは経済活動が支える。人は今とは違う新しい選択肢を求める。商人文化が華咲けば差異も加速する。もっと技巧的に、もっと芸術的にと躍起になる。

 その一つにもっと淫らにという絵師もいただろう。私たちは常に競争に快感をおぼえ、過去に挑む。この「わたしだけは違う」という自己顕示競争に辟易しているが、市場は足ることを知らない。割り切れず。

天罰

 高校時代はバンドブーム前夜でラウドネスなどのヘヴィメタ、ボウイなどのポップスが流行っていたが、私は校内で絶滅危惧種のパンク好きで、ザ・ブルーハーツのレコードを初めて聞いて涙した口だ。「あーいあむあ、あーなきーすとっ」とピストルズがいつも脳内で響き“社長出勤”していた。そんないい加減な私ですら最近ニュースを見て思わず呟く。「モラルハザードだ。いや秩序の危機だ」。

 憲法というものは国家の基本法だから、最低限の仕組みを記せばいい。よって不十分なのは当たり前で、下位法が補えばいい。そこを逆手にとり、ありえない解釈や言葉のすり替えをして、集団的自衛権の解釈改憲や安保法が成立した。

 だが安倍政権はこの過ちを決して認めないだろう。むしろ強硬姿勢を強め、たとえば、首相官邸に沖縄県名護市の久辺3区の区長3人を呼びカネを受け取らせた。暴力的な光景だ。これで地元の真の民意を得たと言いたいのだろう。「いずれ天罰が下るぞ」。またもや不合理な言葉が頭をよぎった。