編集長コラム「金曜日から」 編集長のコラムを公開しています。

原理原則を理解する

 今週号では最近やたらと注目を集めている「ふるさと納税」を特集しました。もちろんひねくれものの『週刊金曜日』でありますから、テレビの情報番組などで扱うようなふるさと納税を賢く利用して「いかに得するか」(「家計にとってお金が節約できることは幸せである」)という経済的イデオロギーにもとづく企画ではありません。

 特集をして調べた結果、ふるさと納税がいかに本来の税の趣旨からはずれているか、地方創生とちぐはぐであるか、さらに「寄附」や「ふるさと」の意味を相対化しているのかという議論や視点が浮かびあがってきました。

 なぜ税が必要なのか、なぜ平和が大切なのかなど、原理原則を理解することはいまこそ大切な時期です。しかし原理原則の前には常に「現実は違う」と例外的な理由を、ときには本気で、ときにはもっともらしくふりかざしてくる人たちがいます。

 その最たるものがふるさと納税にも潜む「富が個人の幸せを高める」というイデオロギーではないでしょうか。

瀬戸際

 憲法が体現する平和や人権など戦後日本が獲得したイデオロギーは批判を浴びやすい。だが「戦後」などと枕をつけずとも70年経てば人の価値観は変わる。ネットで自分好みの情報に接する機会が増えてそれは加速した。

 娯楽、美食、性的指向、天皇、思想、宗教まで、生活のすみずみにいたるあらゆる価値や考えが安定さを失っている。価値の多様化とも言えるが、多様化は優位にある価値や立場を相対化させていく。

 そもそも「新しさ」を24時間求め続ける経済(資本)を生活の中心に置いているのだから必然の成りゆきだ。絶対視された価値観に疑問を抱く行為ほどカタルシスも強い。しかし、疑問を抱いただけで否定しえたと勘違いする輩も多くて困る。

 そしていま生活を支える政治の価値も揺らいでいる。だがそれは政治家の価値観が脆弱化したからだろう。そもそも世襲議員ばかりが大臣になる政党は脆弱だ。だから為政者はますます経済に迎合し、暴力的になって取り繕おうとする。真っ当な価値を失う瀬戸際がつづいている。

政治と全体主義

 何日か前、テレビの情報番組で「腹立つニュースベストテン」のようなものを企画特集しており2位ぐらいが甘利前大臣辞任だった。ランキング発表後に街角インタビューで中年女性が「甘利さんTPPがんばっていたのにねえ」と半ば同情的に発言していた。いやいやいやちょっと待て。この人何を知っているんだ。私はなにも同情したことが駄目だと言いたいわけではない。そもそも甘利大臣がTPP交渉でがんばったって平気で受け売りを事実として言えて感情移入までしちゃう人々が恐ろしいのである。しかも「甘利TPPがんばってた」論は、推進側からのポジティブな評価にすぎない。(TPPについては今週号特集をお読みください)。おまけに「がんばってた」論の先には、「50万円ぐらいで辞任はしなくてもいいじゃん」論もある。良い生活という目的を掲げればどんな行為でも許されてしまう「政治」特有の危険さ。そしてそのような「政治」が全体主義に結びついていくと指摘したハンナ・アレントの思索を思い出した。

愚か者の街

 日本でもお馴染みのアメコミヒーロー、ダークナイトことバットマンが犯罪者と闘う架空の街はゴッサム・シティという。19世紀にマフィアが跋扈し犯罪都市となったニューヨークが「ゴッサム・シティ」と名付けられたことに由来するなど諸説ある。

 しかし、ニューヨークの愛称もそもそもはイングランドに実在するゴッサムという村に由来する。村はその昔話から「愚か者の街」と呼ばれたという。

 米国にはバットマン前史を描いた「ゴッサム」というドラマがある。ゴッサム・シティという悪の街そのものに魅力を感じたのだろう。以前、仮面ライダー鎧武の舞台、沢芽市の形がゴッサム・シティと同じでオマージュだと話題になった。

 石ノ森氏のレンジャーはコミカルさが売りだが、それに比べライダーはダークヒーローだからか。むろん現代日本にリアル・ゴッサムは存在しない。しかし一部の有力者が力を及ぼすリトル・ゴッサムはある。キャラクター消費でとどまらず、なぜ街は悪やヒーローを生み出すのか目をこらしたい。