編集長コラム「金曜日から」 編集長のコラムを公開しています。

テロが一夜にして政権党を野に下らせたスペイン。米国追従の小泉政権を、私たちはこのままにしていいのか。

「テロに屈するな」。小泉首相が連発するこの言葉は、一見、説得力を持ちそうだが、的を外している。重要なのは「テロを引き起こさせない」ことだ。
 
 と、それこそ言葉で表現しても、なかなか実感が伴わない。だが、やはり「事実」の重みは凄まじい。スペインで発生した列車爆破テロは、一夜にして、総選挙での圧倒的優勢を伝えられていたアスナール政権を野に下らせた。
 
 多くのメディアが「社会労働党が信任されたのではない。国民党が不信任を突きつけられたのだ」と報じている。大多数の国民がイラク派兵に反対していたにもかかわらず、米国追従路線を取ったアスナール政権。その歪みが大規模なテロにつながったと、有権者は判断したのだ。

 新政権は「イラク撤退」を表明した。米国の圧力もあり、曲折が予想される。テロの犯人が、アルカイダか「バスク祖国と自由」か、あるいは両者が組んでのことなのかも、明らかではない。だが国民の意思ははっきりしており、最終的に新政権の基本方針は貫徹されるだろう。
 
 さて日本。野党議員に批判されると顔色を変えて反論するのに、判断の難しい問題では、途端に人ごとのような態度をとる小泉首相。今回も、参議院予算委員会で、日本もテロの対象になる危険があるという追及に、「日本のイラク支援の姿勢は、スペインの選挙結果で左右されるものではない」と答えるばかり。案の定、緊張感のかけらも感じられなかった。

 しかし、もはやそんなことは通らない。ここまで米国べったりの外交姿勢では、むしろテロ対象国になるのは必然だ。しかもテロを完璧に防げないことについては、各国政府とも認めている。外交の失敗で、市民・国民を恐怖にさらすことが、果たして許されるのか。

 小泉首相、あなたに決定的に欠けているのは想像力だ。トップの判断ミスがもとで、血塗れになって折り重なる無辜の市民。その姿を自分のものとして思い浮かべ、一刻も早くイラクから撤兵しなさい。(北村肇)

「現実主義」の名のもとに、「解釈改憲」を推し進め、憲法九条をいいようにねじ曲げてきた国会議員は、明らかに憲法九九条違反だ。

「理想」を追い求めるのは、「非現実的」なのだろうか。
 
 戦争より平和のほうがいい。すべての国が武器を捨て、地球が一つになったほうがいい。できれば、犯罪も事故も環境破壊もない社会がいい。これが「理想」であることに異を唱える人は、そう多くないだろう。だが、「だったらみんなで目指そう」と口に出した途端、「非現実的だ」と一蹴されるか冷笑される。
 
 憲法九条――幾度かの大戦を経て、人類が生んだ一つの「理想」と思う。少なくとも日本は、この「理想」に「現実」を近づけようと決意したはずだ。朝鮮戦争などを契機に、結果として自衛隊が生まれてしまった。それでも非核三原則や武器禁輸政策が固持されてきたのは、ひとえに九条の賜といってもいいだろう。だが自民党はもちろん、今や野党の中にも、「理想」を「現実」に合わせようと声高に主張する議員がいる。
 
 彼らにとっての「現実」とは何か。改憲の根拠の一つとして、「米国の押しつけ憲法」が指摘される。「自主憲法ではない」ことがまず問題だという。ところが一方で、その米国との集団的自衛権確保のために改憲に走る。何をか言わんだ。この例が示すごとく、「現実」とは、実は「ご都合主義」以外の何物でもない。
 
 憲法九九条は「憲法尊重擁護の義務」として、次のように定めている。「天皇又は摂政及び国務大臣、国会議員、裁判官その他の公務員は、この憲法を尊重し擁護する義務を負ふ」。 本来、憲法は公務員が守るもので、国民・市民は憲法によって守られるのである。

 「解釈改憲」の名のもとに、いいようにねじ曲げられてきた九条。仮にも憲法の条文を尊重しなかった国会議員は、明らかに憲法違反を犯している。これこそが正真正銘、「現実」ではないか。(北村肇)

「『日の丸』だ、『君が代』だ」って押しつけるのは、お上の言うことは何でも聞けという権力的発想。こんな連中に本当の愛国心があるとは思えない。

 いつからこんな息苦しい国になってしまったんでしょう。卒業式、入学式には必ず「日の丸」を掲げよ、「君が代」を歌えなんて。そもそも、いまどき「愛国心」と言われても。大体、国家があるから国民なのか、その逆なのか、民族と国家の関係はーーなど、永田町でまじめに論議したことありますか? ないでしょうが。
 
 国家には「内から見た国家」と、「外から見た国家」があるというのは常識ですよね。でも、この国の外交を見ていると、「世界から見た日本」に思いをいたしているようには感じられない。何しろ、米国の顔色だけうかがっているんだから。そのくせ「内」の国民には「国家」を押しつけようとする。納得できっこないですよ。 

 国会議員にも文部科学省の官僚にも聞いてみたい。卒業式や入学式で、「日の丸」にお辞儀することの意味ってなんですか? 「君が代」を歌う意味って何ですか? きちんと答えられますか。「国旗だから」「国歌だから」なんてわけのわからない回答じゃだめですよ。

 ひねくれ者の小生としては、ついこんなことを考えてしまう。
「要するに管理したいんだろう。反体制とか反逆とかが許せなくて、無理矢理、お上の命令に従わせようとしているだけじゃないのか」

所詮、中身のない似非エリート主義ですね。「われわれは国を守る国会議員や官僚だ。国民は指示に従っていればいいんだ」みたいな。つまるところ、権力者が望むのは「右と言ったら右を向いてくれる国民」なんでしょう。まったく内実の伴わないエリートや権力者ほどたちの悪いものはない。

 はっきり言って、彼らが本当に国を愛しているとは、とても思えない。しかも困ったことに、そんな連中に限って「力」が大好きときている。まさか「富国強兵」なんて言い出さないでしょうね。くわばらくわばら。 (北村 肇)

「食の安全」は一朝一夕には取り戻せない。だから確固たる意志が必要になる。

 スプーン一杯の土には数十億の生命が存在するという。それだけで一つの宇宙だ。では大地に毒物をまき続けたらどうなるのか。農薬問題は、そういうことを問いかけていた。

(さらに…)