編集長コラム「金曜日から」 編集長のコラムを公開しています。

一歩引いて眺める

 戦後70年企画の目玉として連載してきた辺見庸さんの「1★9★3★7」が最終回を迎えた。時間や空間を行きつ戻りつ、窒息寸前まで息を止めるかのように思考を追い込む硬質な文学を掲載できたことは大変誇らしかった。連載物としては異例のページ数をとり、「薄い」『金曜日』としては悩ましくもあったが、読者のみなさんの反響が大きかったことは幸いだ。
 週末は、東京都現代美術館の「おとなもこどもも考える ここは誰の場所?」を観た。撤去されるという会田誠さんの作品はいつもの自虐的なノリで、安倍首相?!のパロディはテレビのコントでやってもいい程度でもある。いまのテレビの笑いが腰抜けすぎるだけだ。安倍首相に塩を送るが、作品を観て、「ははは。よくできているじゃごじゃいませんか」とでも言えば少しは支持率が上がるはずだ。同美術館で「戦後美術クローズアップ」と題して所蔵作品を展示している。今号の「1★9★3★7」で言及された香月泰男もある。一歩引いて日本の景色を眺めてみたい。

すでに失格であり退場すべき

 7月16日、自公政権が戦争法案を採決したが、首相に右ならえする与党議員の衆愚的姿がなにより気持ちわるい。民衆裁判で死刑判決を受けたソクラテスは「悪法も法なり」と語ったという。民主主義者には悪法も法だ。この国で暮らすものはこの国の民主主義の希望と絶望、不条理を受けいれる。それは手続きを踏まえて成立した法には従うという掟だ。このまま戦争法が成立すればおそらく憲法学者らによって戦後最大の違憲訴訟が起きるだろう。私も違憲だとかんがえる。しかしいちど成立すれば違憲判決がでても廃止法案が必要だ。法に頼るものは法をまもらなければならない。予算をつけないことで骨抜きにする超ウルトラCもあるが、今の野党では無理だろう。結局は民主主義の話だ。国政選挙がないなか9月の自民党総裁選が立憲政治の踏み絵となる。憲法を守らない議員は議会から退場するのが立憲民主主義の掟だ。そうでなければ日本の民主政治は崩壊する。安倍的政治はすでに失格であり退場すべきなのである。

小選挙区制と民主主義

 このコラムを書いている時点では、今週中にも戦争関連法案が委員会で強行採決されると言われている。今国会は首相の幼稚な野次や、大臣連中の不勉強さをまざまざと見せつけられた幻滅国会である。

 作家の大江健三郎氏はたびたび安倍首相の言葉の軽さを危険視してきたが、新国立競技場の費用問題をふくめて軽いどころか低レベルでデタラメだ。言葉が軽くなったのは憲法9条のせいだと物知り顔は言う。9条で武力の保持が禁止されているのに、実質的な軍隊にまで肥大した自衛隊という存在が日本最大の矛盾であるというわけだろう。

 しかしながら天皇の戦争責任問題や、かつての不良債権時の大手銀行への無責任な公的資金注入など、人々がモラルハザードを起こす大人のデタラメはいくらでもある。

 代議士が劣化した原因は二大政党制でもない日本で国会議員をがらがらぽんする小選挙区制にもあるが、小選挙区が続くならば自民党の独裁状態は悪化していくだろう。これ以上、民主主義を乗っ取らせてはならない。

※戦争関連法案は7月16日午後の衆議院本会議で採決され、与党などの賛成多数で可決、参議院に送付された。

ブーイングを聞き取れないのか

 週末、小中学生のピアノ教室を見学した。演奏は楽譜通りの音で弾くことが基本だ。子どもたちも楽譜に向き合って何度も練習する。解釈の余地がある行間部分で個性を出すなど先の先である。
 コンピュータのプログラミングも1行でもコードを書き間違えれば動かない。それぞれの世界には絶対必要条件というものがある。
 と偉そうに書いたが、私はいずれも専門外である。さて法にも基本や大前提があるのだが、いまの立法府の住人たちは逸脱しすぎだ。むろん解釈の幅が大きいのは言葉の長所であり短所であるが、独善的な解釈や思い込みをして、自分が正しいと強弁するにも限度があるのも然りである。
 趣味のカラオケなら楽譜は読めなくてもいい。おっさんたちは気持ちよくがなりたて仲間内でほめあうのは自由だ。しかし現実政治で憲法や歴史を学ばないのは恥だ。すでに不誠実な演奏に大群衆がブーイングを出していることも聞きとれないのか。そのような歌手や指揮者にアンコールはかからない。

自民党の劣化

 自民党の私的な勉強会・文化芸術懇話会における大西議員らの発言に自民党の劣化をまたしても再確認した。事実誤認の笑えない「ギャグ」を呼吸するように吐き出す、想像力も欠如した作家を呼んでしまうお友達感覚もお粗末だ。そもそもなにを放言するかはだいたい想像できるはずだ。それゆえこの時期に青年局長を更迭する羽目になったのは、自民党議員たちの危機管理能力のお粗末さも露呈した。とうぜん沖縄は激怒しているが、案件によっては外交問題を引き起こしかねない勉強会だ。
 だがもし大人としてなにか反省したのならば、次は自公政権に怒る街頭の若者たちを呼んで耳を傾けたらどうだろう。なぜ安保法制に反対するのか。憲法を護れと言うのか。自分たちに都合のよい嘘つき太鼓持ちを呼ぶなど自慰でしかない。不安だろうが臆病な自分をぜひ乗り越えてほしい。
 安倍のような独善的で排他的なトップの背中から学んだ若手政治家(おっさんも多いが)や議員秘書の質は落ちている。しかし安倍を選んだのは国民である。