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「軍隊を持たない」「核は持たない」を人類の文化にしなくてはならない

 軍隊を持たない国・コスタリカの憲法第12条にはこう書かれている。

恒久的組織としての軍隊は禁止される。
公共の秩序の監視と維持のため、必要な警察力を持つものとする。
大陸間協定もしくは国家防衛のためにのみ、軍事力を組織することができる。
いずれの場合も文民権力に従属し、個人的であれ集団的であれ、審議も表明もすることができない」(足立力也さん翻訳)。

 これらを逆から読めば、「短期間、国家防衛のためなら軍隊は持てる」となる。見方によっては、日本の9条より緩い規定なのだ。
 
 だが、9条の安楽死が進む日本と異なり、コスタリカの12条はいまのところ盤石にみえる。何しろ、大統領が米国のイラク侵略支持を打ち出したところ、国民が猛反発、大統領に違憲判決が出るほどだ。

 足立さんの近著「丸腰国家~軍隊を放棄したコスタリカ60年の平和戦略~」(扶桑社新書)を読み、納得した。多くの国民が「軍隊は法律的には持てるが文化的には持てない」と考えているのだ。翻って日本では、あたかも「政治的には持てる」といった雰囲気が漂い、「敵基地攻撃能力の保有」を主張するような人間さえ国政選挙で選ばれてしまう。この懸隔はあまりに大きい。
 
 北朝鮮(朝鮮民主主義人民共和国)が核実験を再開した。ミサイル発射実験も繰り返している。いかなる理由をつけようと、到底、許せるものではない。だが、北朝鮮の「言い分」を分析する必要はある。「小国が大国に対抗するには、核武装しかない」という理屈の先には、「なぜ、米国を筆頭に一部の先進国による核保有は認められるのか」といった不満があるのだろう。そして、その「言い分」を全面的に無視することはできない。
 
 足立さんは言う。「誰かの意志が行動を生み、そのいくつかがシステムとなって後世に残る。……意志と実行力があれば、人間はそれくらいのこと(軍隊の廃止)はできるのだ。私たちは、私たち自身に内在する『人の力』を、もっと信じたほうがよい」。

 目指すべきは、「軍隊を持たない」「核を持たない」を人類の文化にすることだ。すべての国家から軍隊と核を一掃するため、まずは自らの意志を確認したい。(北村肇)