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民主党は第二自民党なのかリベラル政党なのか、目をこらして息をのむ

 立場が人をつくるように、政権が与党議員をつくる。自民・社会連立政権が生まれたとき、そのことを痛感した。知り合いの社会党議員が某大臣になった。議員会館に訪ね驚いた。心なし態度が大きくなったのはどうでもいい。市民の立場はどこへやら、やたらに官僚の肩を持つ姿勢が鼻につき、耐え難かったのだ。

 その後、社会党は消滅した。「自衛隊合憲論」に踏み切ったことが大きいと思う。与党なのだから仕方ないではすまない――同党を支えてきた市民グループからは大ブーイングが起きた。だがその声は政権党議員には届かなかった。届いても耳にふたをしたのかもしれない。権力の蜜は想像以上に甘かったのだろう。

 民主党がその蜜を手にするのはほぼ確実な情勢だ。鳩山由紀夫氏ら幹部は、すでに政権獲得後の構想について語っている。いわゆる革新派市民からも「とにかく自公政権を葬ろう」という合唱が聞こえてくる。だが、民主党がつくった教育基本法改定案は自民党案よりタカ派的だった。安全保障問題についても、たとえば小沢一郎氏はISAF参加に積極的だ。果たして、安心して政権を任せていいのか、懐疑的にならざるをえない。

 本誌今週号で取り上げたが、民法改正問題でも、民主党には何世代も意識がずれている超保守派議員が何人もいる。こうした議員が与党になった途端、「女は家を守れ」などと叫び出しかねないのだ。

 そもそも、民主党の核となっているのは、自民党経世会に所属していた議員である。田中角栄、金丸信の流れだ。「清和会が権力を握った自民党を、民主党に衣替えした経世会が野党に追いやる」という構図に見えなくもない。自民党の凄みは、有権者の心の動きにそった微妙なバランス感覚だった。右に寄りすぎれば左派が伸長し、ハト派が力を持つとタカ派が息を吹き返す。この繰り返しにより、自民党内での“政権交代”を実現してきたのだ。しかし、小選挙区制を導入したことで戦後55年体制は崩壊。結果として、自民党の一部派閥を中心にした民主党が生まれ、形式的には二大政党時代が出現した。
 
 いずれにしても、鳩山氏も小沢氏も与党のうまみは十分、知り抜いている。霞ヶ関官僚の強さ、弱さも肌で感じ取っているはずだ。だが一方で、旧社会党議員や若手には、野党経験しかない議員も数多くいる。さまざまな場面で、互いの思惑がすれちがい、混乱することは十分、予想される。その先にあるのは第二自民党なのかリベラル政党なのか、息をのんで見つめる。(北村肇)