編集長コラム「金曜日から」 編集長のコラムを公開しています。

得体の知れないクローン牛を食べる気にはならない

 人間の中には、バクテリアのような無数の生命体があるだけではなく、人間を人間たらしめている遺伝子にも、外部から入り込み寄生したとみられるミトコンドリアが存在する。遺伝子の地図であるヒトゲノムには、核ゲノムとは別にミトコンドリアの環状DNAが含まれるーーらしい。つくづく「命」とは不思議な世界だと思う。

 このミトコンドリアにある遺伝子は母親からしか受け継がれないというから、体細胞クローンで生まれた牛には、体細胞のミトコンドリアと卵子のミトコンドリアが混在する。科学的な仕組みはとんとわからないが、何か、とてつもないことが起きそうな気がする。何しろ一頭の牛に二つの命が同居するのである。

 遺伝子がらみの話題で、刑事事件におけるDNA鑑定をめぐり、過去の鑑定の信憑性に疑問を呈する判決が出た。「DNA」というだけで、いかにも科学的な印象を与えるが、とても完璧とは言えないのが実態なのだ。ジェームズ・ワトソンとフランシス・クリックが「遺伝子の二重らせん構造」を発表したのは1953年。遺伝子研究はその後飛躍的に進んだものの、まだ半世紀の歴史しかないのである。

 世界の脅威になっている豚インフルエンザも、ウィルスの正体はわからないことだらけだ。変異の実態が実は十分に解明できていないのである。以前にも紹介したが、エイズ騒動の際、ある研究者が「人為的につくったウィルスとでも思わないと解釈できない」と首をひねっていた。「ウィルスは宿主が死んだら自分も生きていけなくなる。これほど強い致死性を持つことが不思議」というのだ。

 これらの例をみただけでも、「二つのミトコンドリアが同居」したらどうなるのか、考えれば考えるほど不安になる。おそらく科学者も予測がつかないのではないだろうか。ところが、厚労省はこうしたクローン牛に「安全宣言」を出す気配だ。まったく、神経を疑いたくなる。

 真に科学的な姿勢とは、未知や不可知な世界に対して慎重に対応することである。「生命の神秘」はまだ解明されていない。むしろ、研究が進むほどさらに神秘性は深まっていく。遺伝子には、私たちの「知」のレベルをはるかに超える謎が潜んでいるとも限らない。拙速に結論を出すようなことではないのだ。
 
 豚インフル騒ぎの陰で、不穏な事態が進む。(北村肇)