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「お江戸の顔」には真の「大人」がふさわしい

都の職員は右手の親指を立て、独り言のように呟いた。「その日の気分しだいだから」。当時、『毎日新聞』は、あるシンポジウムに石原慎太郎知事の出席を依頼していた。社長室委員として窓口になっていた私は、再三、確認を求めたが、どうも担当部局の態度が煮え切らない。執拗に迫ると、返ってきたのが冒頭の言葉だった。
 
 中年職員の表情が訴えていた。
 「トップは気まぐれでどうしようもない。われわれの言うことなんてきかないし。わかってくださいよ」。
 
 シンポジウム開催は私の退職後だった。結果は「ドタキャンだった」と、一緒に動いていたシンクタンクの関係者から聞いた。『サンデー毎日』で石原知事批判を展開したのがお気に召さなかったこともあったのだろう。
 
 石原知事を評価する都職員に出会ったことがない。組合関係者の知り合いが多いので、割り引いて考えなくてはならないが、それにしても「専横だ」との批判は相当に激しい。リーダーシップはトップに必要な資質だ。だが「裸の王様」になっては元も子もない。批判を受け入れてはじめて、リーダーとしての重みが生まれる。
 
 都知事選が告示された。何とも不思議な知事選だ。「石原知事でなければ誰でもいい」という声が届いてくる。古くは、美濃部知事が初当選を果たしたときは、「反自民」が有権者の底流にあった。青島知事が下馬評を覆して圧勝したのは、「反政党」の票がどっと流れたからだ。宮崎でそのまんま東知事が誕生したのも、「無党派」の勝利だった。

 それらに比べ、今回は様相が異なる。民主党支持者からも、「浅野氏支持ではないが、石原氏はノー」との本音が漏れる。市民運動に携わる人々の間でも、「『日の丸・君が代』は好き」という浅野氏に違和感を抱く人が多い。それでも「石原氏よりは」となるのだ。

 知事に就任以来、石原氏の支持率は一貫して高かった。さまざまなスキャンダルに見舞われながら、いまだに高水準を維持している。だが、「反石原」のうねりが相当に勢いを増しているのも確かなようだ。

 江戸っ子の嫌いなのは、「権威を盾に威張りくさる侍」と相場は決まっている。「お江戸の顔」には真の「大人」がふさわしい。(北村肇)