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8月15日の小泉首相靖国参拝は、外交的にみれば「宣戦布告」にほかならない

 話題になった本で、古本屋に出さず本棚にしまっておこうと思うものは滅多にない。『バカの壁』は付箋をはる頁がまったくなかったし、『世界の中心で、愛をさけぶ』は、職業柄やむなく読破したが、本来なら途中でゴミ箱いきだ。『頭がいい人、悪い人の話し方』といったたぐいの本は、立ち読みでも時間がもったいない。だが、このベストセラーは違う。すでに二四万部突破、高橋哲哉氏の『靖国問題』。

 俗にいう「堅い」本だ。お手軽本やお気軽本ばかりが売れる昨今、出版元も驚いているという。私も売り上げ部数を聞いたときは冗談だと思った。しかし、考えてみれば当然でもある。連日、これほどメディアを騒がせているのに、「靖国」の本質はなかなか把握しにくい。「東京招魂社」に始まる歴史的経緯も、誰もが知っているわけではない。気鋭の学者は、それらの基本的事実を踏まえた上で、見事な包丁捌きにより「靖国」を解体し、謎解きをした。

 本誌今週号は、高橋氏とは異なる手法で「靖国」を分析した。むろん、得られる結論に本質的な違いはない。つまるところ、「靖国」は日本固有の問題ではない。「国家」のために命を失った者を哀悼する、この人類共通ともいえる「心性」を利用し、哀悼を顕彰へ、戦争を聖戦へとすり替える。密やかな国家の企みを凝視しなくてはならない。「靖国」的なるものは間違いなく、戦争再生産のための装置になりうるのだ。

 一方で、矛盾するようだが、「靖国」は日本固有の問題としての側面ももつ。「国家」という幻想を「天皇」という現人神に結びつけたことにより、「靖国の英霊」は、「天皇」によって祀られるという構図ができあがった。

「靖国」を「天皇の神社」と認識している人たちが、天皇の靖国参拝を求めているのは言うまでもない。首相の公式参拝が定例化すれば、「次は天皇」という動きが加速するだろう。自民党の憲法改悪案の中には、首相靖国参拝の違憲状態解消を目指した項目が含まれている。不戦の9条と戦争装置の「靖国」とは、決定的に対立するのである。

「憲法改悪」「靖国参拝」とくれば、戦争再生産のための装置がいよいよ現実のものとして立ち上がってくる。先の大戦の被害国が、そのような不安感を抱くのは当然である。小泉首相のかたくなな姿勢をみると、大東亜共栄圏を目指した戦前回帰こそが目的のような薄ら寒さすら感じる。でなければ、およそ無定見にアジア各国をあおる意味がわからない。8月15日の参拝は、外交的にみれば「宣戦布告」にほかならないのだ。(北村肇)