編集長コラム「金曜日から」 編集長のコラムを公開しています。

米軍再編がもたらす、新たな世界侵略への底なしの不安

 ウメの散り際は、絢爛たるサクラがその老いを隠す。だが、サクラはすべてをさらしたまま季節を終え、後には、若々しい新芽が初夏を告げる。潔しとサクラがもてはやされるのは、散り際の妙にあるのか。で、考える。「お国のために命を失った」人々にだぶらされたサクラの心境はいかに。

 かの人たちは、散ったのではない。国家によって散らされたのだ。そこには、あきらめきれない無数の無念が渦巻いていたはずである。が、しかし、その命は、私たちに「平和」という新緑を残してくれた。

 そして60年。いま、「敵国」米国と日本は、巨大な軍事同盟を目指す。米軍再編という文字面からは人ごとのような戦略に、日本は根こそぎ巻き込まれ、今度は、緑そのものが破壊されようとしている。

 そもそも、米国の理解する日米安保条約は、「極東戦略のために日本を基地化する」ことに集約される。「日本を守る」はお題目にすぎない。すべては自国の利益のためなのだ。

 それを知りつつ、市民・国民をあざむいてきた政府・自民党は、「何が悪い」と開き直っているようにみえる。だが本誌今週号で特集したように、米軍再編により、自衛隊はほぼ完全に米軍の指揮下にはいる。「悪い」に決まっているではないか。

 自民党は憲法を改悪し、自衛隊を自衛軍にしようともくろむ。しかし米軍再編が進めば、「自衛軍」ではなく、「米軍の日本分隊」にすぎなくなるのだ。「押しつけ憲法に反対」を唱える政党が、なぜ日本を米国の属国にしようとするのか、この点でも、およそ理解に苦しむ。

 憲法が安楽死させられていることは、先週号で触れた。このまま蘇生しなければ、かつて日本は一国でアジアを侵略したが、21世紀は、米国の属国として世界侵略に荷担することになるだろう。米軍再編は、そういう視点からとらえなければならない。

 満開のサクラを仰ぎ、散らされた命に思いを馳せる日々、春に浮かれてはいられない。(北村肇)