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「気に入らない」者を排除する警察に、市民警察を名乗る資格はない

 コマ劇場がなくなる。長らく“新宿の顔”だった。中学生のころ、祖母と、舟木一夫の公演を何度か観に行ったことがある。なぜ舟木一夫なのか、よく覚えていない。ただ、脂粉と嬌声でむせかえる、猥雑な雰囲気だった印象は強く残っている。こちらはたびたび出かけた歌舞伎座とは、およそ趣が違っていた。

 浅草の国際劇場が消えたのは80年代初め。ラインダンス好きの祖父に2、3回、連れて行かれた。帰りにウナギを食べるのが楽しみだった。国際劇場に関しては、別の思い出もある。新聞記者になり、東京本社での最初の仕事は、たまたま上野・浅草を中心にした取材だった。「国際劇場がなくなる」との情報を聞き込み、「特ダネ」にした。思い入れたっぷりの原稿を書き、デスクに叱られた。国際劇場の跡地には、およそ浅草には似つかわしくない、しゃれたホテルが建っている。

 1960年代、東京の繁華街といえば上野と浅草、次いで新宿。どこもごった煮のような街だった。ホームレスもヤクザも、何の違和感なくそこに存在していた。当然、ちょっとした事件は日常茶飯事。それでもなぜか、お巡りさんの表情は穏やかだった。ギラギラした目線で職質する、いまの警察官との落差はどこからきたのか。これも一種の「清潔シンドローム」ではないかと思う。ヤクザも左翼もホームレスも、異物として排除する――。

 本誌が続けてきた「警察の闇」も今週号で第8弾。私たちには、ことさら警察を批判しようという意識はない。だれからも信頼される本来の市民警察に戻ってほしいとの一点で、きつい言葉を投げかけてきた。だが、残念ながら、事態が好転しているとは言えない。

 暴力的でもなんでもないデモに、大量の機動隊が盾をもって警備にあたる。私服の公安警察官がカメラをもち、参加者の写真を撮りまくる。一体、だれが「犯罪者」なのか。「人を見たら泥棒と思え」という教育でもされているのか。ビラ配りだけでの逮捕もそうだが、「気に入らないヤツは捕まえてしまえ」という雰囲気が、ますます強まっている。しかも「気に入らない」の対象が拡大しているようだ。多くの市民が、「何となく嫌な時代になったなあ」と感じても不思議ではない。

 戦前、この国では「お上に逆らう」者は異物として排除された。五人組ができ、市民同士が監視し、密告しあう社会が現出した。その反省から、憲法も、市民警察も生まれたはずである。ヘドロだらけでは困るが、清流に魚が住めないように、猥雑さを失った社会に人は住めないのだ。(北村肇)