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憲法を救い、活かす第一歩は、ひとり一人が熟読し声に出すこと

 思い切って自画自賛に徹し、近刊「伊藤真・長倉洋海の日本国憲法」の宣伝を。限りなくある憲法本の中でも、本誌連載を一冊にまとめたこの本は、異彩を放つ。伊藤真さんの逐条解説は、憲法条文が持つ豊穣な果肉を、端的にわかりやすく切り取り捌いてみせる。長倉さんの写真は、憲法がいかに世界を慰撫できる「潜在力」を持つか描き、私たちの想像力をかきたてる。

 むろん、料理人の技がどれほど優れていても、食材が伴わなければ意味がない。二人のシェフが存分に腕をふるうことが出来たのは、それだけ憲法の存在そのものがすばらしいからだ。「そんなの当たり前。何を今さら」と言われるかもしれない。だが、当たり前のことをわざわざ文章にしたのは、意外に私たちがそのすばらしさを実感し切れていないために、憲法の「生存権」が揺らいでいる気がするからだ。

 たとえば第25条「すべて国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する」「国は、すべての生活部面について、社会福祉、社会保障及び公衆衛生の向上及び増進に努めなければならない」。もし、すべての市民がこの条文を大声で復唱したら、偽装改革により格差社会をもたらした小泉純一郎元首相は耳を塞ぐしかないだろう。明らかに憲法違反なのだから。

 第21条「集会、結社及び言論、出版その他一切の表現の自由は、これを保障する」「検閲は、これをしてはならない。通信の秘密は、これを侵してはならない」。条文が活かされていれば、映画『靖国』の事前試写を要求したり、出演者に「圧力」と受け取られても仕方のないような電話をかけた国会議員は憲法違反と指弾されるはずだ。

 9条については言うまでもない。集団的自衛権の行使など、政治家や官僚は言い出しただけでも憲法違反である。そもそも自衛隊が合憲など、どういう読み方をしたら導き出せるのか。世界に誇るべき条文が無惨にも安楽死させられているのが現状である。

 このほかにも、憲法の形骸化は枚挙にいとまがない。「伊藤真・長倉洋海の日本国憲法」を読み進めるにつれ、憲法の目指した理想と現実の乖離、あからさまに第99条に違反する国会議員や公務員の厚顔ぶりに、改めて怒りがわいてくる。

 では、憲法を救い、活かす第一歩は何か。ひとり一人が熟読し声に出すことだろう。日本中をこうした声が覆えば、さしもの違憲議員らも耐えきれないはずだ。(北村肇)