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「日韓併合百年」を控えての『坂の上の雲』。どう考えても政治ドラマだろう

 敬愛してやまなかったジャーナリストが生前、幾度も同じ事を口にした。「司馬遼太郎は決して偏狭な国家主義者ではない」。いわゆる司馬史観には否定的な私が『坂の上の雲』を引き合いに、日露戦争を肯定する姿勢を批判すると、「エセ愛国者がこの作品を悪利用しているだけ」という反論が返ってきた。

 取材に基づいた事実しか記事にはならないと言い続けた人が、単なる印象論を語るはずがない。といって、こちらも、司馬氏が生前『坂の上の雲』の映像化を拒否していたことくらいしか知らない。そこで、「では、そのことを『週刊金曜日』に書いて欲しい」と頼み、打ち合わせを始めたところで病に倒れ、帰らぬ人になってしまった。

 司馬氏の日露戦争評価について、『坂の上の雲』の一節がよく取り上げられる。
 
「ロシアの態度には弁護すべきところがまったくない。ロシアは日本を意識的に死に追いつめていた」「日露戦争というのは、世界史的な帝国主義時代の一現象であることはまちがいない。が、その現象のなかで、日本側の立場は、追いつめられた者が、生きる力のぎりぎりのものをふりしぼろうとした防衛戦であったこともまぎれもない」
 
 この「避けられない戦争であった」という史観に対し、たとえば大江志之夫氏は『日露戦争スタディーズ』(紀伊国屋書店)の中で、こう書いている。ちなみに大江氏は東京教育大学時代の私の恩師で、緻密な研究者である。

「ロシア皇帝の韓国を日本の勢力圏として承認するという勅命も、満州の大部分からロシアの政府も軍も手を引くという提案も、日本の政府に伝えられることなく、日本は主観的な危機感だけから、あの大戦争を決定し、実行に移してしまった。……ロシア陸軍は対日戦争の準備も研究もしていなかった」

 最近では、和田春樹氏が「ロシアは露日同盟を検討していた」という史料を発掘した。日露戦争が「避けられた戦争」であるのは、ほぼ裏付けられているようだ。ただ、司馬氏が新聞連載をしていた当時、どのような史料を把握していたのかはわからない。
 
 いずれにしても、『坂の上の雲』が、「列強に打ち勝った輝ける歴史の称賛」に利用されているのは間違いない。来年は「日韓併合百年」にあたる。NHKの『坂の上の雲』が政治的ドラマではないと、誰が信じるだろうか。(北村肇)