編集長コラム「金曜日から」 編集長のコラムを公開しています。

NHKの籾井勝人会長が「従軍慰安婦」について「どこの国にもあった」と発言して大問題になっている。

編集長後記

 NHKの籾井勝人会長が「従軍慰安婦」について「どこの国にもあった」と発言して大問題になっている。韓国人の「強制連行」の物的証拠はなかったという巧妙な言い回しをしている安倍首相の狡猾な意図すらも理解できない「知性」を晒してしまった。

 一方、首相の靖国参拝について米国が失望を表明していると米国頼みの国内報道もあったが、「権威」という裏技にすがる姿勢にはウンザリする。映画賞でも日本アカデミー賞までつくって最高権威の賞としている国だ。「米国」ではなく染みついた「米国依存」に日本の困難さがある。

 と言いながら気がひけるが、米英合作映画『それでも夜は明ける』を籾井氏や安倍氏はぜひとも観て“国際感覚”を磨いたほうがいい。これはかつて合法だった黒人奴隷の手記を元にした映画だ。これを観ても「奴隷の売買は当時合法だったし、今でも人身売買は世界中に見つかる」と強弁するのか。合法に存在することと、人としての筋は違う。形式や権威を悪用する人間が人心を腐らせる。 (平井康嗣)

沖縄県名護市長選の投開票があり、米軍普天間基地移設反対の稲嶺進市長が再選した。

編集長後記

 1月19日は沖縄県名護市長選の投開票があり、おおかたの事前分析どおり米軍普天間基地移設反対の稲嶺進市長が再選した。結果に対する各社の社説は次のようなものだ。

「稲嶺氏再選 誇り高い歴史的審判 日米は辺野古を断念せよ」(『琉球新報』)、「稲嶺氏が再選 敗れたのは国と知事だ」(『沖縄タイムス』)、「名護市長選 辺野古移設は再考せよ」(『朝日』)、「名護市長選 移設反対の民意生かせ」(『毎日』)、「名護市長再選 普天間移設は着実に進めたい」(『読売』)、「名護市長選 辺野古移設ひるまず進め」(『産経』)、「普天間移設の重要性を粘り強く説け」(『日経』)。見出しを読むだけで各社が日米同盟に関してどう報じてきたのか、どう報じるのか透けて見える。よく覚えておこう。

 翌日、自民党の石破茂幹事長は名護市への500億円の振興基金構想の見直し発言をした。カネで市長の椅子を買えなかったからだ。露骨である。国家が安易にカネで政治をも買おうとするから、民の誇りや理想は失われていくのだ。 (平井康嗣)

沖縄に関する報道は偏りがちだ

編集長後記

 年明けから選挙が相次ぐ。注目するものは1月19日に投開票がある沖縄県名護市長選だ。米軍普天間飛行場の移設先とされる辺野古が所在する街だ。新基地建設という見方もあるこの施設建設は「日米同盟」強化の踏み絵とも位置づけられており、中央政府は強権的に臨んできている。

 だが、沖縄に関する報道は偏りがちだ。地元紙は丹念に報道するし、社説も、これが真っ当な新聞だと支持する筋論が多い。しかし地元紙では報じづらい部分もある。そこで“よそ者”の東京なのだが、無関心な記者と沖縄に思い入れのある記者の両極端に割れ、後者は地元に寄り添い過ぎることが多い。

 本誌ではここに沖縄基地報道の壁があると感じ、市民にも知られていない基地とカネと人をめぐる事実を報じようとしてきている。 

 ただこの名護市の構図は、日本各地で似たようなものだ。地域には地域の政財官癒着集団が存在し、住民の無関心と無知こそが彼らを盤石なものにさせている。大文字の選挙ばかりに眼を奪われていてはいけないはずだ。(平井康嗣)

安倍首相が支持されてしまう根深い理由は、1年ごとに首相が交代する政治に日本中が辟易していることではないか

編集長後記

 安倍首相が支持されてしまう根深い理由は、1年ごとに首相が交代する政治に日本中が辟易していることではないか。神輿は軽いほどいいとしばしば大臣や首長に対して官僚が言ったりするものだが(たとえば千葉県の森田健作知事とか)、安倍氏の薄っぺらさも今の時代、保守的なエリート層や欲望の強い層などにはちょうどはまっているらしい。政策は丸呑み、税金は企業にばらまく。軍事をはじめ、つまるところ、短期的には経済的で現実的な政治をするという安心感が支持されるのだ。

 それも理想を掲げ理屈っぽく、しかも倹約主義の民主党が決められない政治と批判され、毎年代表をクビにして自壊したからだ。確かにその不安定さはコリゴリだ。しかしその結果、同党に付随していたある種の理想主義までが永田町・霞ヶ関で後退したかに感じる。人権や平和という言葉も西洋的な価値観かもしれないが、それはやはり人や社会が追い求める理想の形だ。貧しても鈍することなく、理想や希望を追う人たちを支えていきたい。 (平井康嗣)