編集長コラム「金曜日から」 編集長のコラムを公開しています。

3万円の価値

 安倍政権は日本の中にある「貧困」を見えなくしようとしている。解決しようとしているという意味ではない。「貧困」はリアルなものではないと短期間だけ錯覚させようとしているだけだ。

 政権は今後も医療費や年金を削り、介護保険を締め付けていくだろう。にもかかわらず、4月以降に3万円の臨時給付金を低所得年金受給者に配って恩を着せようとしている。

 その最大の動機が7月の参議院議員選挙で自公政権が票を買うためだ。誰でも理解し怒りを持ちうる見え透いた話だが、メディアはこれを理解させるように伝えてはいない。民主党もかつてばらまいたと自民党はよく批判するが、もっと理屈が立っていた。非正規労働、教育費など「貧困」を政権交代前にテーブルに上げて問いかけた。

 貧困への怒りや危機感が有権者に伝わったことが政権交代の大きな原動力だった。その一方で今回、甘利TPP大臣や秘書が挨拶代わりに数十万円を「ごっつぁん」している。ザ・自民党。彼らに3万円の価値を聞いてみたいものだ。

持ち時間

 先週から自民党都道府県連は地元に次々と選挙対策本部を設置し、参院選対策を活発化させている。ひるがえって野党はどうか。共産党が提唱する「国民連合政府構想」に対し民主党は、共産党と同じ政権はつくらないという姿勢をいまだに変えていない。

 確かに民主の支持団体である連合内の旧同盟系労組はもともと反共産主義イデオロギーの集団である。しかしちょっと待て。どうせ参院選で勝ったぐらいでは政権を取れない。いまは政府をつくるなどというアブハチの議論に時間を費やす段階ではない。憲法9条無視で戦争推進、立憲主義無視の暴力政権はおかしいという、きわめて公共圏に属するテーマで手を組めばいいはずだ。

 自自連立政権誕生のために野中広務氏は悪魔(小沢一郎氏)にひれ伏して手を組んだ。政権維持のためならば、なんでもやるのが自民党だ。関西の暴言前市長を大臣に迎え選挙に臨むという噂も根強い。戦争とカネの政治をとるのか。平和と自由の政治をとるのか。熟議する持ち時間はもうなくなった。

政治家だけではない

 今年は言葉、わたしにとっては「事実と論理」が脆弱化するか否かの正念場だ。

 戦後民主主義的な思想を否定する安倍首相の価値観は異様だが、内心の自由の領域ではある。しかしながら、首相やその周辺が立憲主義や歴史事実を無視、いや蹴り飛ばしている行為は許しようがない。日本の政治家に課せられた最低限の約束を破る行為だ。理性社会の底が抜ける。しかしそれでも国政は動かせるのだから逆に開き直るばかりだ。

 今週号ではその安倍政治を二人三脚で進める経済産業省に光を当てた。今起きている現象は天変地異ではない限り、誰かがやっていることだ。その誰かを太陽の光の下に引きずり出すのが小誌の仕事である。

 政治家は表に立ち目に入り易いが、官僚や企業が裏で協同しなければなにもできない。そして選挙という審判を一応は受ける政治家よりも、官僚や大企業のほうが立場は盤石でもある。つまり私たちのプロテストの相手は政治家だけではないのである。物事を単純にとらえる怠慢に警戒しつづけたい。

世代交代論

 年明けだというのに年末の話で恐縮ですが、師走にライターの竹内一晴氏に誘われてAKBグループの紅白対抗歌合戦を観覧した。終わコンだ、学芸会だと言われながら激しい芸能界で生き延び続ける姿には感心したが、年明けのシングルには引退した前田、大島、篠田、板野が復活参加すると発表された。素人目にはサプライズで面白いと反応したのだが、熱心なファンの竹内氏は「これはだめだ」とすぐに呟いていた。そして大晦日。格闘技では因縁の決着をつけるという触れ込みでサップ×曙、魔裟斗×KIDが対戦。紅白では松田聖子に近藤真彦が大トリで登場、総じてその年のヒット曲ではなく往年の曲中心だった。この世代交代のなさ、過去のしがらみ、ビジネス的な粉飾臭。これが成熟社会なのか。
 安倍政権も積年の「慰安婦」問題を年末の土壇場で決着したつもりらしいが、被害者側不在のプロレス的ボス交渉では片はつかないだろう。年末の各方面の「全力」が戦後71年の日本を暗示している気がしてならない。