編集長コラム「金曜日から」 編集長のコラムを公開しています。

お詫び

 8月20日(水)夕方〜22日(金)午後、会社に連絡をいただいた方、たいへん申しわけありません。この間ひかり回線のトラブルで電話・FAX・インターネットなど会社のネットワークがつながらなくなり、ご迷惑をおかけしたことと思います。私たちも突然のことで雑誌が出せなくなるのではと心配しました。

 じつは少し前、自宅でも突然ネットがつながらなくなったことがありました。回線をトリがつついたのではないかと業者に言われましたが、そんな些細なことで何もできなくなる、あやうい状態にあることを実感させられました。

 ドラマ「北の国から」(1981年〜)の黒板五郎はそんな状況に警鐘を鳴らした人物だったのでしょう。電気も水道もない「最初の家」で息子の純が「夜になったらどうするの!」と抗議すると「夜になったら眠るんです」と。北海道・麓郷で保存された家を見ながら、そんなことを考えていました。(吉田亮子)

ヒグマ

 この夏もイヌを連れて北海道を旅している。それにしても、ヒグマによる被害が例年になく多い。8月14日には知床半島で、2005年の世界遺産登録後はじめて登山客が襲われた。知床には400〜500頭ほどが生息しているとみられているが、目撃件数は年々増えているという。

 北海道も異常な暑さの影響で、ヒグマが食べる木の実などが不作なのかもしれない。海流の変化によって、マスの遡上が少ないとも言われる。いずれにしても、環境の変化にヒグマたちの行動も変化せざるをえないのだろう。

 北海道の先住民、アイヌの人たちはヒグマを神とした。サケもフクロウもさまざまな生きものを神として崇め、そして感謝して食したという。ヒトの生活圏に入ってしまった野生動物たちを危険なものとだけ見ずに、自然が崩壊していることを私たちに伝える大切な使者として見ることはできないものだろうか。(吉田亮子)

戦後80年

〈「おとうちゃん、いもができました。」といって、おとうちゃんをみると、もうこえがでません〉〈すると、その子供は「おばさん、これおばさんの子供にあげて。」と言って、何かを出しました。それは、おべんとうでした〉〈せんそうはいやだ。たたかいはいやだ。ぼくはそう思う!〉

 これは原爆を体験した子どもたちの言葉。これに、いわさきちひろの絵で構成した絵本が、7月に刊行されたばかりの『1945年8月6日 あさ8時15分、わたしは』(童心社)だ。67年刊行の『わたしがちいさかったときに』(同)で掲載された言葉を再構成したものだという。

 戦後「80年」というのは、そういう年数なのだ。体験者からは直接話が聞きにくくなり、人々からは記憶がなくなりつつある。しかも同じやり方をしていては次世代に伝わらない。そして新しい戦争をはじめてしまう……。だから古いものを新しくする努力が必要なのだ。(??田亮子)

参政党

「子どもを産んで、はじめて真剣に選挙に行きました」「これで少しでもよくなれば」「自分のことというよりも、子どもの未来のために投票した」

 選挙後耳にした、参政党に投票した人の理由だ。地方から東京に出て働く20代女性は、自分を取り巻く現状に多くの不満があるようだった。

 参政党は予想どおり議席を拡大。本誌7月11日号で「反省なき戦後80年の『日本人ファースト』 参政党がなぜ支持されるのか」を執筆した『神奈川新聞』記者の石橋学さんは、参政党の会見から排除された(アンテナで詳報)。「政治時評拡大版」では、『東京新聞』記者の望月衣塑子さんが同様に排除されたことを書く。また崔善愛編集委員は風速計で、参政党への向き合い方を決意する。本誌では、引き続き取り上げる予定だ。

 今号から次号にかけては「戦後80年の敗戦特集」を掲載する。ますます暑くなりそうな今年の夏。どうぞご自愛のほどを。(??田亮子)