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沖縄県民はもちろん本土人も「米国属国」の被害者であることを忘れてはならない

「沖縄」は、「革新的知識人」を標榜する者にとってリトマス試験紙だ。沖縄県民の痛みや怒りがわかりますかと問われたとき、深く肯いたうえで加害者の立場として発言する。米軍基地の75%を押しつけたまま本土人は見て見ぬふりをしている、その一員としての懺悔が「知識人」として最低限の条件である。

 鳩山新政権は、このことを悪利用した。沖縄に寄り添ってこなかった事実を踏まえ、反省し、日米関係の見直しにまで踏み込む。「加害者」としてのしおらしい態度を見せつつ、自民党政権からの大転換を装ったのだ。しかしその後の推移を見る限り、現時点では、みせかけにすぎなかったとしか言えない。

 最重要課題になっている普天間基地移設問題。前政権の方針を踏襲し、辺野古沖移設を直ちに決定すべきという北沢俊美防衛相や、嘉手納基地への統合を主張する岡田克也外相は論外だが、とりあえず鳩山首相は「沖縄の意向を最優先」とのポーズをとっている。オバマ大統領に釘を刺されても踏ん張ったという姿勢をみせるため、1月の名護市長選、あるいは6月の参議院選までは結論を出さない可能性もある。このまま拙速な判断をすることなく、県外移設への道を模索するのなら、それなりの評価をしたい。

 しかし、よしんば県外移設が実現したとしても、それが即「沖縄問題」の解決につながるわけではない。基地撤去後の沖縄をどうするのか、その戦略がなければ本質的解決はありえない。本誌今週号で詳述したが、沖縄の基地問題には常に地元建設業界の利権がからむ。当然といえば当然。沖縄県の経済が基地の上にのっている事実は隠しようがないのだ。だから、そこに利権が生まれるのは避けようがない。だが、政治家や官僚だけではなく「革新的知識人」の中にも、この実態を見て見ぬふりをする人がいる。「被害者」には清く美しくあって欲しいという、身勝手な気分があるからではないか。

 そもそも本土人は、自らが加害者であるとともに被害者でもあるという事実に目を向けなくてはならない。沖縄の基地がすべて本土に移転すれば、基地問題は全国に拡散する。つまるところ、米国支配から脱しない限り「日本人」はすべて被害者なのだ。偏った「加害者の立場」は、むしろ歪んだ「上から目線」につながりかねない。差別された者がより差別された者をあわれむような態度は、厳に慎むべきだ。でないと「真の敵」を見失うことにもなる。「沖縄県民と本土人はともに米国属国による被害者である」という実態に基づいた闘いも重要ではないだろうか。(北村肇)