編集長コラム「金曜日から」 編集長のコラムを公開しています。

暉峻淑子さん

「希望を抱けるところは、格差をなくすとか、差別をなくすとか、そういう草の根の動きが社会に広がっていくということでしょうか?」(20頁)との竪場勝司さんの質問に、暉峻淑子さんは「そういうことを仕方なくではなく、本気でやっている人間はちゃんといる」「社会はより良い方向に変えられるという、もう一つの思想の価値体系を事実を通して見つける」と話した。続けて「『週刊金曜日』もそれをめげずにやっている人たち(の集まり)だなと思っています」と。そうありたいと励まされた取材だった。

「もう一つの思想の価値体系」を提示すべく、女性九条の会(https://x.gd/UGHZt)は講演会「尊厳を持って歳を重ねるために 福祉後退社会のなかで」を開催。講師の宮子あずささんは看護師で、『東京新聞』でコラムを担当するなど著述業も。4月28日(月)14時、東京・ココネリホール(西武池袋線・大江戸線「練馬駅」)で。(吉田亮子)

大阪・関西万博

 4月13日、大阪・関西万博が開幕した。前売りチケットが目標に達しない見込みと報道されているが、それもそのはず。東京の私のまわりで万博が肯定的に話題にあがることはない。しかし1970年の大阪万博には、父は東京から行き、幼い私はもらったお土産のことを覚えている。

 高さ15センチほどの三角錐型の赤いからだに目や鼻があり、頭には白いフワフワの毛がついたぬいぐるみ。ネットで調べると、すぐにヒットした。カナダ館のお土産で、「トンガー」という神さまのようだ。おお、モノによっては1万円以上の値がついている。実家にはもうないかな。

 指摘されている問題の一つに、万博を口実に公費でIR(統合型リゾート)への鉄道などのインフラ整備をしたのでは、という批判がある。しかし、ここにカジノができたとしても、カネに余裕のある人が鉄道を使う?と友人が言う。万博後、夢洲はどんな風景になるのか。(吉田亮子)

おめでとう

 この春、朝鮮学校に入園・入学する子どもたちに「おめでとう」を伝えるため、東京都内にある学校に行った。在校生による花のアーチをくぐり会場に入場。緊張している子や恥ずかしそうな子、カラフルな民族服でニコニコの子も。子どもの数は少ないし、学校を一歩出れば辛いこともあるかもしれない。けれども同胞以外にも応援する人はいる。困ったら近くの大人に助けを求めてほしい。それに応えられる社会でありたい。

 一方、2024年度の都立学校卒・入学式総括集会が3月31日にあった。ジャーナリストの永尾俊彦さんによると08年に「日の丸・君が代」に対して不起立の生徒がいたら起立を促すという文言が進行表に入って以来、都教委による強い指導が続く。不起立による処分を理由に再任用を打ち切られて時間講師になったある教員は24年度、不採用の通知を受けた。被処分者に対するあらたな攻撃が起きているという。(吉田亮子)

齋藤陽道さん

 毎週誌面に写真と文章を届けてくれる齋藤陽道さんの写真展「神話7年目——人間が始まる」が3月末にあった。場所は歌舞伎町のド真ん中、歴史を感じさせる遺跡のような王城ビル。以前、きれいな場所で写真展をしたので、今度は真逆で計画したとのこと。

 紙の重みや写真のタイトルを見て感じてほしいと実物を手に取って見るスタイル。ほかにも天井まで届くサイズが。その一つ、ユキヤナギの下に子どもが潜り込んだ写真はコロナ禍に近所で撮った。それまでは気づかなかった、子どもだけの世界だという。

 28日は都築響一さんとのトークイベントも。高額なカメラを安易に買うなという都築さんに、高画素数カメラは、手話に出会い言葉が初めてクリアに見えた喜びに近いと齋藤さん。気づけば機材の話で盛り上がり、2人ともカメラオヤジになっていた!

今号からスタイルを刷新、より充実した誌面づくりに励みます。(吉田亮子)

鄭義信さん

▼3月14日号「歓喜へのフーガ」で崔善愛編集委員がインタビューした鄭義信さん作・演出の東京演劇アンサンブル『白い輪、あるいは祈り』(『コーカサスの白墨の輪』ベルトルト・ブレヒトより)を東京・俳優座劇場で観た。

 稽古での鄭さんは役者に駆け寄り、じっと見つめて考えたり、ニコニコと話し合ったりしながら、次々とプランを提示する。大きな声も出さずに、ときどき笑いまで起きる現場……。あたりまえだが、見事に一つにまとめていた。

 舞台は鄭さんが言うように「大岡裁き」が軸ではあったが、取り合ったのは戦乱の中で実際の母親に置き去りにされた子ども。そして育ての母親には、子どもを抱えながら生き延びるために、裁判に至るまでに数々のできごとが。

 鄭さんは「きな臭い空気に覆われはじめている」今の時代にあって、「あまりに能天気」だと結末を変更した。そんなラストとも重なり、イスラエルによる攻撃が再開されたガザの人々、実際の戦争を思わずにはいられなかった。(吉田亮子)

卒業式のあり方

 強制は調教——。卒業式での「君が代・不起立」処分の取り消しを求めて裁判を闘った大阪市立中学校の元教員、松田幹雄さんら(「君が代」不起立処分撤回!松田さんとともに学校に民主主義を!)が「『卒業証書授与式』を使わないで」と訴えている。

ホームページによると、戦前の「卒業証書授与式」や「卒業式」は、天皇、日本国家に忠誠を尽くす意識を刷り込む行事であったことと、式の主役が卒業生ではなく学校長であったこと(『学校禮法 儀式編』川島次郎著、1942年より)が理由だという。

 大阪市教委とは「君が代」の指導なども含めて何度も協議を重ねた上で、すべての大阪市立小・中学校に「『卒業証書授与式』のことばを使わないでください」と2月にメールを送付した。これを契機に卒業式のあり方について論議が起きることが狙いだ。

 くわしくは、東京都の卒業式での状況とともに誌面で報告したいと思う。東京ではあたたかい日が続いたせいか、もうサクラが咲き始めた。(吉田亮子)

「東京サラダボウル」

 NHKで放送中のドラマ「東京サラダボウル」は多文化が共存する“サラダボウル化”した東京を描く。原作は漫画『クロサギ』の黒丸氏の新作。公式サイトは次のように解説する。「“外国人犯罪・外国人事件”(略)と一括りにせず、外国人居住者の方たちの暮らしや人生に光を当て、そこに向き合う刑事と通訳人の目線で、異国で生きる葛藤に出会っていく物語」。

 このドラマが偏見や差別を生まないようにするためか、セリフがときどき説明的になることが少し気になるが、毎回多文化が反映された食べ物が登場するのがたのしみ。5話では、仕事を奪われるのではないかと、同僚の外国人をいじめる日本人が登場した。その人に通訳人が言う。

「外国人を働かせてやってるんじゃないです。日本は人口が減って子どもが減って、今の社会を維持するための労働力も消費力も足りない。日本人だけじゃ、この国はもうもたないんです。彼らを敵視して排除しようとしても、あなたの居場所は守れない」(吉田亮子)

次から次へと

次々といろいろなことが起きる。1月27日はフジテレビの「やり直し」会見をテレビで流しながら仕事をしていた。最後まですべてを聞いていたわけではないが、500人近い記者が集まれば時間がかかるのは当然だろう。それにしても、壇上に並んだフジテレビ経営陣はすべて男性だった。そのことに疑問をもたずして「再生」はないよねと思う。そして次の日には『週刊文春』が記事を訂正……。次号、この問題を特集する。

 続いて1月29日、旅客機と米軍ヘリコプターが衝突事故。この件で報じられたトランプ米大統領の発言に驚いた人は多かったのではないか。就任演説で「きょうから性別は男女の二つのみとする」と述べ、今回は「DEI」(多様性・公平性・包括性)推進が航空管制官らの人材レベルの低下につながったという批判だ。その米国が深くかかわるというイスラエルとハマースとの間の「停戦合意」の中身はどんなものなのか。今号では早尾貴紀・東京経済大学教授に執筆していただいた。(吉田亮子)

指紋押捺

 今号「指紋押捺が日本社会に問うもの」で鼎談に出席いただいた金成日さんは、昨年5月10日号の「風速計」で崔善愛さんが紹介した人物だ。押捺拒否による罰金3万円に対して、抗議として「1万円」を支払わなかったと掲載したが、日韓併合の年号にちなんで「1910円(年)」の誤りだった。そこで今回、押捺についてあらためて聞く機会をもった次第。表紙の「指紋押捺強制具」が生々しい。

 記事のように、1985年は押捺の大量拒否があった。前年出版された『ひとさし指の自由 外国人登録法・指紋押捺拒否を闘う』(社会評論社)で、拒否について家族会議をしてから3年後の善愛さんと妹の善惠さんが裁判を前に語り合った箇所がある。

「法廷にピアノを持ち込んで、思っていることを表現してみたい。それだったらいくらでもやってやるわよ」(善愛)

「コタツの中でミカンをむくように、拒否が日常茶飯になればいいのにね」(善恵)

 軽やかな言葉とは裏腹に、背負わせてしまった事柄の重みを思う。(吉田亮子)

渋谷敦志さん

畑仕事をする笑顔の女性、真剣な表情の祭りの男性、強風で傾きながら崖に立つアテの木。能登半島地震から1年を機に出版された渋谷敦志さんの写真集『能登を、結ぶ。』のページをめくると、悲惨な写真ばかりではないのに感情が揺さぶられる。それは渋谷さんが見た「その地域の限界とは裏腹の、まだ力を出し切っていない可能性」(あとがき)を感じるからだろうか。

 渋谷さんは地震翌日の昨年1月2日、日本赤十字社の医療活動の取材で能登半島に入った。その後、峠で巨岩のすき間を自転車で突入していく人に出会う。「大好きな人たちがいるから」とその先に物資を届けようとしていた。その姿に心をつかまれ、取材を続けることができたという。

しかし、写真集を持って再訪したら「さまざまな問題が現実味を帯びてきていた。能登はこれからどうするかという段階にきている」。道路は通っているので、ぜひ現地を訪ねてほしいとも。渋谷さんの願いは、「一人でも多くの人と能登を結ぶ」ことだ。(吉田亮子)