編集長コラム「金曜日から」 編集長のコラムを公開しています。

「米騒動」から90年、史実を辿りながら、来たる総選挙に備えたい

 「米騒動」という文字を、あちこちで見かけるようになった。輸入米問題のことではない。1918年に起きた、米価暴騰をきっかけにした庶民の反乱だ。富山県で、北海道に米を輸送する船を主婦らが阻止しようとする騒ぎが勃発。いったんは収まったが、商社に安価で売るように要求する動きは激化し、庶民の「勝利」が相次いだ。これをきっかけに、全国で、米の安売りを求めたり、米問屋を襲撃するなどの反乱が相次いだ。米の価格が急速に上がった背景には、第一次世界大戦後の好景気で、麦や稗から米食に切り替える国民が増えた一方、米の輸入量が減ったことがあるという。

 史実を辿ると気になることがある。米価高騰で、地主や米穀商が米を投機対象とし、売り惜しみが進んだ。市民の間に、一部の裕福層が利益を独り占めすることへの憤りが醸成されていたのだ。そして、同年8月、寺内正毅首相はシベリア出兵を宣言、その後、日本は侵略戦争への道を歩むことになる。「庶民の反乱」を戦争へと向けさせるのは、国家権力の“お家芸”だ。また、「治安を護るため」に警察官も増員された。警察国家の確立である。

 さらには、米騒動の報道に対し、新聞への圧力が強まり、政府は、米騒動に関する一切の報道を禁止する命令を新聞各社に通達した。この時は、各社とも一斉に反発、報道禁止令を撤廃させた。しかし、満州事変以降、言論の自由は押さえ込まれていく。
 
 米騒動から90年、自民党総裁選という空騒ぎが終わり、麻生太郎政権がスタートした。次は総選挙だ。各党とも、さまざまな公約を打ち出している。だが、これといって新味はないし見栄えもしない。この国はいま、いつ「米騒動」が起きてもおかしくない。その逼迫した現状への認識が薄い気がしてならない。
 
 前回も述べたが、地軸がひっくり返る時代なのだ。そして、そのことへの漠然とした不安をもつ庶民は、不安解消の手だても、解消してくれそうな人も見あたらず、さらなる不安にさらされている。このまま閉塞状態が続けば、何らかの「乱」に発展する可能性はますます高まる。
 
 ということは、軍事国家や警察国家が生まれ、戦争へと進む危険性をもはらんでいるということだ。だが、現在のマスメディアには、権力に刃向かう意志も力もない。ならば、来たる選挙、有権者が賢くなるしかない。そして、米騒動の後、「初の平民宰相」として原敬が登場したにもかかわらず、日本は奈落の底に落ちていった史実も忘れてはならない。時のムードに乗るだけでは、民主主義を守ることはできないのだ。(北村肇)