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日本は危険水域に入ったと実感する06年の暮れ

今年はたびたび、斎藤貴男さんの著作の一節が頭をよぎった。『機会不平等』(文藝春秋、2000年)での三浦朱門氏へのインタビューだ。
 
「できん者はできんままで結構、戦後50年、落ちこぼれの底辺を上げることばかりに注いできた労力を、できる者を限りなく伸ばすことに振り向ける。百人に一人でいい。やがて彼らが国を引っ張っていきます。限りなくできない非才、無才には、せめて実直な精神だけを養っておいてもらえばいいんです」。

 当時、三浦氏は教育課程審議会の会長職に就いていた。
 
 1%の「エリート」と99%の実直な「その他」。この発想はもともと、財界から生まれたものだ。企業の中枢を担う人材以外は、使い捨ての「労働力」さえあればいい――。新自由主義とは結局、一種の奴隷制にすぎない。かくして格差は限りなく進み、日本はついに、米国に続く貧困率ワースト2の国となった。

 貧困率とは「所得の中央値の半分以下の所得で生活している人の比率」で、OECDが今年公表したデータによると、米国13・7%、日本13・5%、アイルランド11・9%がワースト3。このコラムでも以前、触れたが、前回のデータでは日本はワースト5だった。

 与党が14日決めた「07年度税制改正大綱」をみると、1兆円の減税総額はほとんど企業向けで、庶民への恩恵はない。「栄えるのは大企業だけ」といってもいい。消費税も来年の参議院選挙が終われば具体化していくはずだ。「貧困率ワースト1の座」は目の前である。

 永田町に目を向けると、こちらでは新保守主義とやらが大手を振る。市民と国家の主従関係を逆転させ、主権在民から主権在国への転換をもくろむ。新教育基本法が教育現場に下ろされていけば、「お国のために自分を捧げる」日本人の育成が本格化するだろう。それは当然、「労働者は経営者に従う」にもつながっていく。

 一方で、格差拡大への不満をナショナリズムに解消させようという、悪辣な企みはもはや隠しようがない。新自由主義と新保守主義の奇妙な融合。この国は、かなりの危険水域に入った。そう実感せざるをえない、06年の暮れ。(北村肇)