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教師をますます追い詰めようとしている、赤い血の流れない人々

「空疎」。一言で表現すればそうなる。安倍首相の年頭記者会見を思い起こすと、みごとなまでに安っぽい、造花のような言葉ばかりだ。「美しい国」「教育の再生」……。あなたには言われたくないと、つい毒づきたくなる。心がない、魂がない、熱情がない。そんな決意表明が人を動かすことなどありえない。

 本誌今週号で「追い詰められる教師たち」を特集した。ルポで取り上げた北九州市の校長を自殺に追い込んだのはだれか。「旧教育基本法が犯人」とは、さすがの安倍首相も言うまい。逆だ。教育基本法の精神はどこに行ったのか、営利企業顔負けの、効率と管理が押しつけられた教育現場。これこそが悲劇をもたらした元凶である。

 校内でのいじめを教委に報告していなかったと責め立てられた校長。教委幹部は記者会見で、あからさまに「悪いのは校長だ」という風情で話し続けた。メディアもその線で報道し続けた。だが、それらは「誤報」だった。

 校長は、いじめ問題から逃げることなく対応していたという。教委にも細かく報告していたようだ。だが、新聞に報じられると、教委はすべての責任を学校、とりわけ校長に押しつけた。普段は部下を徹底した管理下に置き、いざ問題が起きると、責任は部下にとらせる――日本的企業風土となにも変わらない。

 管理、締め付け、評価。がんじがらめにされた教師は、本来の教育研究に時間を費やす余裕もない。がんばればがんばるほど、健康を損ない、心の病に陥る。かような実態を棚にあげ、「教育再生を目指す」とは片腹痛い。

 教育基本法の改悪は、事態を改善するどころか、ますます悪化させるだろう。「自分を捨てても、国家のために尽くす人材」づくりを教師は強いられる。「日の丸」「君が代」が“合法的”に強制されるのはもちろん、「上の命令には従う」者だけが教師としての道を確保できることになる。それはつまり、教育者として、「真に自立できる子どもたち」を求めてきた自らの良心を捨てることにつながるのだ。

 日本はうつ病国家に陥っている。真っ当な人間、真っ当な発想、真っ当な生き方、それらはすべて、競争原理や管理社会によって抑圧され、窒息させられている。人間らしく生きようとするほど、うつ状態に追い込まれる国の、どこが美しいというのか。造花首相、はりぼて内閣には、赤い血が流れていない。(北村肇)