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参院選の結果が明確に示したのは、大衆人気だけが頼りだった小泉流変革が、その支持を失ったということだ

  パラダイム(基本枠組み)が大きく変化するときは、針が一本、床に落ちただけの衝撃でも、きっかけになるという。まさに熟柿が落ちるのたとえ。
 
 小泉氏が首相になれたのも、「変革」のスローガンが「一本の針」となったからだ。社会全体に「変革」を求める機運が充満していた、その瞬間の登場だった。「運」と「勘」の総理といわれる所以でもある。
 
 それから三年、今回の参院選では、小泉体制を容認するのか、それとも再びの変革を求めるのかが問われた。常識的には、三年足らずでパラダイムの変化など起きようがない。しかし有権者は後者を選んだ。そもそも、「忘却の国民」と言われる日本では、人気者がある日突然、その座を追われることなど珍しくもないのだ。
 
 小泉政権誕生とともに、リストラを進め、人事制度に業績主義を導入する企業が相次いだ。中高年の世代に「痛み」を押しつけることで、企業の業績をあげようという狙い。それはまた、小泉流「自己責任」の具現化でもある。自分の生活は自分で守れ、そのためには競争に勝て、というわけだ。

 だが、年功序列を無視し単純に導入された業績主義は、すでにあちこちで破綻している。それはそうだろう。いたずらに競争をあおればチームワークはがたがたになる。もともとこの国に、優勝劣敗思想はなじまないのだ。

 しかも時流に乗った「変革」が、年金制度改悪でもはっきりしたように、実は財務省の財政再建政策をただ踏襲しているだけであることがはっきりしてきた。本誌連載の「小泉純一郎研究」で詳述した通りだ。

 さらには、多国籍軍参加問題で浮き彫りになったように、「米国追従」の軍国路線も綻びだらけである。そのいい加減さに関しては、いまさら説明の必要もないだろう。
 
 それらを覆い隠してきたのは、マスコミを巧みに利用して作り上げた「人気宰相」の仮面だった。だが「人生いろいろ」など、あまりに市民をバカにした発言が相次ぎ、さすがの世論も一気に小泉離れに向かった。それにもっとも気づくのが遅れたのは当人だろう。

 かくして、小泉流変革は大衆の支持を失った。だがそれは、大衆が民主党を支持したことにはつながらない。小泉氏並み、あるいはそれ以上に優勝劣敗思想に凝り固まる民主党議員もいる。有権者が彼らの本質を知るのに、そう時間はかからないはずだ。(北村肇)