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自衛隊批判は、その実態を見極めることから始めなくてはならない

 小学生のころ、戦艦や戦車の絵を描くのが好きだった。考えてみれば、まだ戦後20年もたっていない。社会の中にも「大人」の中にも、生々しい戦争の刻印があったのだろう。子どもが描く兵器の絵は、日本軍の「大和」であり「ゼロ戦」だった。できたてほやほやの自衛隊はまだ、「軍隊」ではなかったのだ。

 その後も長い間、自衛隊の主たる任務は災害救助と装われてきた。与党も野党も、表向きはともかく、軍隊としての自衛隊を見て見ぬふりしてきたのだろう。「明らかに違憲であるのに存在を認める」という矛盾のもとでは、「触らぬ神」が都合良かったのである。だが、日本を実質支配する米国はそれを許さなかった。

 2000年10月に出されたアーミテージレポートは、こう明言した。「集団的自衛を日本が禁止していることは、(日米)同盟協力の制約になっている。この禁止を取り払えば、より緊密で、効果的な安全保障協力が可能になる。これは日本国民だけができる決定である。……われわれは、米国と英国との特別な関係を日米同盟のモデルと見なす」。

 さっさと憲法を改定し、自衛隊を名実共に軍隊にし、米国の軍事戦略に寄与しろ、という脅しである。あわてた自民党は、有事法制策定、改憲に走り、小泉純一郎首相(当時)の高支持率を利用して次々に米国の要求に応えた。一方で、露骨な自衛隊の米軍傭兵化を進めた。この欄でも再三、触れたが、米軍再編は、自衛隊を中近東までも含む極東戦線の前線部隊に位置づけることにほかならない。

 小泉首相が後継に指名した安倍晋三首相は、新保守主義の立場からも改憲を政策の前面に打ち出した。とりあえずは頓挫したかにみえるが、防衛庁は防衛省に昇格、自衛隊の海外派兵が既成事実化している現状では、憲法の安楽死化が進んでいると言わざるをえない。

 これに対し野党は十分な攻勢をかけられなかった。なぜか。「触らぬ神」のツケが回ったのは否めないだろう。自己批判も込めて言えば、「軍隊を語る」ことすら汚らわしいという感覚が、どこかにあったのではないか。その間に、自衛隊の図体はみるみる大きくなり、さらには米国のためとしか思えない兵器にとめどなく税金を注ぎ込むことになった。

 自衛隊が「壮大なムダ」であることを明らかにするには、まず実態を見極めることだ。決して、子どものスケッチですむ話ではない。本誌今週号の特集「自衛隊の正体――ムダな兵器」は、その試みの一つである。 (北村肇)