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派遣法改正で09年を“記念すべき”年としたい

 足の裏まで鈍い痛みがずしんと響く、耳を塞いでも目を閉じても構わずに侵入してくる、そんな耐え難いニュースが絶え間なく襲ってくる。覚悟していたとはいえ、コールタールの海に突き落とされた気分で09年は始まった。どこにも明かりが見えないし、必死にもがいても、全身は思うように動かず進まない。

「仕事がない」から強盗に走る、電気が止められたため、ローソクで明かりをとったことが原因で火事になる――。ガザ、アフガニスタンでの蛮行は言うまでもない。命が、人間の尊厳が、ここまで愚弄された社会をどうとらえたらいいのか。「いい加減にしろ」と叫びたいが、誰に向かって叫べばいいのか。

 最悪の選択はさじを投げること。体が動かないからといって止まってしまっては、溺れるだけだ。重要なのは、一つ一つの問題を冷静に解決すること。それにより、根本的な問題は何かが見えてくるはずだ。

 本誌今週号で特集した派遣法もその一つ。この悪法ができた1999年は、その後の日本の行く末を決定づける法案が続々と成立した年だった。「国旗国歌法」「盗聴法(通信傍受法)」、そして「日米防衛協力指針(ガイドライン)関連法」。日本が米国の世界的軍事戦略に根こそぎ組み込まれた“記念すべき”年は、一方で、新自由主義を導入し格差社会をつくるとともに、そのことへの反発を抑えるため市民・国民への管理を強化する年でもあったのだ。
 
 当時、「国旗国歌法」「盗聴法」などの論議が沸騰する中で、派遣法はメディアにも特に大きく取り上げられることのないまま成立した。人をモノ扱いするための重要な法案であるという認識が欠けていたのは否めない。「仮に」の話だが、当時、この法案の持つ意味が浮き彫りとなり、廃案に追い込むことができていれば、その後の労働をめぐる状況は大きく変わっていただろう。
 
 逆に言えば、改正することで泥沼の状況を動かすことも可能なはずだ。いまこそ政治の出番、労働組合の出番である。新聞・テレビを中心にしたマスコミの役割も大きい。NPO、NGOの力も欠かせない。そして、何をしていいかわからないときは、とにかく「関心を持つ」ことから始めよう。命は私のもの、社会は私たちのもの。だから「私なりのやり方」で闘いたい。1999年とは真逆の意味で、09年を“記念すべき”年とするために。(北村肇)