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石原慎太郎氏は政治家としても、知事としても、「親分」としても失格だ

 実は、石原慎太郎氏を「潔い」と評価したことがある。新聞記者時代、衆議院議員だった石原氏のスキャンダルを追っていた。詳細は忘れたが、金銭に絡む問題だった。ある日、取材チームのキャップだった私と、中心になって動いていた記者に、石原氏の関係者から「二人で国会の事務所に来てほしい」という連絡があった。議員会館の部屋にいくと、その場で同氏はあっさりと疑惑を認め、「有権者に申し訳ない」と謝罪した。記事は特ダネとして翌日の朝刊に掲載した。

 国会議員はどんなに追いつめられても逃げ回るのが常。社会部記者としての体験上、こんなにあっさりと非を認めたのは石原氏だけだった。もちろん「何か裏があるな」とは思った。考えられるのは、もっと大きな疑惑を隠すために一部を認めてしまうという戦略だ。だが、その時の石原氏の態度にはけれんみがなく、ついつい評価してしまった。

 その後、別件で石原氏の自宅に「夜回り」にいったときのこと。ある事件の担当議員として海外に出かけ、帰国したその日だったので、玄関払いを覚悟していた。だが意外にも目をしょぼしょぼさせながらも、ていねいに応じてくれた。ほとんどの自民党議員は、「社会部」の名刺を見ただけでも、露骨に嫌な顔をする。「保守系議員には珍しい」と、ここでも高い点数をつけてしまった。時を経るにつれ、なんと人を見る目がないのだろうと、恥じ入ったのは言うまでもない。
 
 石原氏のアジア蔑視、排外主義的ナショナリズムの発言には、心底うんざりする。「日の丸・君が代」押しつけ教育に対しては、怒りのもって行き場もない。さらに、今回の副知事スキャンダル問題の対応には、別の意味で愕然とした。件(くだん)の副知事は側近中の側近。だからこそ石原氏も全面的に信頼し、仕事を任せていたのだろう。そのこと自体、大いに問題だが、仮にそこまで一心同体なら、副知事とともに知事職を辞すのが、「親分」の責任というものだろう。これは政治姿勢以前の、人格とか品性の問題だ。

 都民の多くは、石原氏のみせかけの「歯切れのよさ」に幻惑されてきた。「料亭政治」「腹芸」「談合」……旧来の永田町政治にうんざりした有権者が、既存の体制に対する「破壊者」を支持するのは、小泉首相の人気ぶりとも重なる。

 だが所詮は、石原氏も小泉氏もあだ花にすぎない。靖国問題で「外交の素人」を露呈した小泉氏、自己保身ぶりがいかにも「格好悪かった」石原氏。奇しくも、メッキが剥げる時期も一緒だった。二人が遠い縁戚というのも肯ける。 (北村肇)