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世襲議員のみなさん、「老人力」をなめると大変なことになりますよ

 福田康夫、安倍晋三、小泉純一郎、町村信孝、小沢一郎、鳩山由紀夫――こう羅列してみると、今さらながら世襲議員の多いことに驚く。この人たちの共通項は「生活の苦労を味わったことがない」ということだ。多少の「努力」さえすれば、成功は初めから約束されていた。何しろ、「食べるための努力」は必要ないのだから。

 その一人である安倍首相が、政権末期に「再チャレンジのできる社会」と、したり顔で言ったときは、吹き出してしまった。「がんばる」ためにはまず、健康、そして食、住が必要不可欠だ。これらが十分でない人々に、「さあ再チャレンジを」と言ったところで、心臓の弱い人にマラソンレースの参加を促すようなものだ。

 小泉政権時代、またたくまに流行語になった「自己責任」も、恵まれた人たちの発想だ。お膳立てがすべてそろっていれば、そこから先は「自己責任」でも仕方ない。だが、貧しい家庭に生まれ、天才的な能力もない、つまりは大多数の人間には「自分の責任ではない」環境や条件がある。加齢や疾病も「自己責任」にはあたらない。

 思い返せば、イラクで高遠菜穂子さんらが拉致されたときの官房長官は福田首相だ。彼もまた、冷ややかな表情で「自己責任」を強調した。官邸内を高齢者とは思えないスピードで歩き回るらしいが、よほど健康なのだろう。海外通信社のインタビューに「(首相の仕事は)楽しいものじゃありませんよ。苦痛の塊みたいなもの」と答えていた。その苦痛は、「生存権」を奪われる不安に比べてどうなのか、聞いてみたいものだ。

「名門の出」を全否定する気はない。中には尊敬すべき人も数多くいる。だが、上述した世襲議員を信頼することはできない。想像力に欠けるようにみえるからだ。彼らには、「医者にすらかかれない一人暮らしのお年寄り」の生活を追体験できないだろう。

 本誌5月16日号で「老人を殺すな」という特集を組んだところ、大きな反響があった。国から邪魔者扱いにされ、高齢者は怒っているのだ。今週の特集は「老人をなめるな」というタイトルにした。お年寄りは、怒っているだけではない。心貧しき政治家や官僚にはそれこそ想像もつかない、「豊かな人生」を送っている人々もいるのだ。

 小泉氏や福田首相は、「そうそう、国に頼らず自己責任で」とほくそえむだろうか。が、なめてはいけない。この「老人力」こそが、社会的弱者の痛みがわからない為政者一掃のパワーを秘めているのだ。 (北村肇)