編集長コラム「金曜日から」 編集長のコラムを公開しています。

「革新知事」の誕生で、民主主義の砦になるはずだった首都圏。30余年後のいま、大きく歪むさまに、立ち竦む

「新宿」は特別な場所だった。国家権力はさまざまな暴力装置を持っているのだなあと、身をもって実感した機動隊の圧力。連帯という名の空気を、若者の歌がこだまさせ続けたフォークゲリラ。美濃部亮吉都知事誕生を信じた民衆が、今どきはサッカーにとられたが、「青い波」の興奮にウエイブした投票前夜。

 確かに勢いは「こちら側」にあった。政権を倒すまでには至らなかったものの、東京、埼玉、神奈川と、相次いで「革新知事」が生まれ、自治体革命が日本を変えるのでは、という高揚感に包まれた。いまは“死語”ともいえる「社共共闘」が、現実の力となって自民党を追いつめつつあった。少なくとも「そう見えた」。

 あれから30余年。「新宿」は変わった。そこにはデモも機動隊もなく、カラオケボックス以外には滅多に歌声も聞かない。ゴールデン街だけがひっそりと、「70年」の残滓に灯をともし続けている。歌舞伎町でいま闘っているのは、一部の風俗業者
と、彼ら彼女らの追い出しをはかる石原慎太郎都知事くらいだろう。

 その石原知事は、自虐史観排除、「つくる会」教科書支持を鮮明にする。そして上田埼玉県知事、松沢神奈川県知事は石原氏を全国知事会会長に推した。二人とも民主党の応援を受け当選した知事だが、主義・主張は石原知事に近いことを、はからずも露呈した。もっとも、民主党を、いわゆる「革新政党」と考えるのは大いなる幻想かもしれないが。

 さらに千葉県知事選には、石原氏と考え方が近いといわれる森田健作氏が立つ。森田氏が当選、たとえば一都三県で使用される教科書がすべて、「つくる会」教科書になったとしたら……。

 民主主義の砦になるはずだった首都圏が、大きく歪むさまに、立ち竦む。

 知事は市民が自ら選ぶ。だれを選択するのか、いま千葉県民が問われている。だがこれは千葉の問題だけではない。東京からも、神奈川からも、埼玉からも、かつての「新宿」を知っている人間は、こぞって千葉に目を向け、メッセージを発しよう。(北村肇)