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北朝鮮問題では、至極当たり前の見解が、当たり前でなくなってしまう

 ウィルス、放射能、電磁波。「怖い」ものの共通項に「見えない」がある。そこで人類は、なんとかそれらを「目に見える」形にし、対応策を考えようと努力してきた。人間関係にもあてはまる。第一印象で判断せず、じっくりつきあい、本質をみることが重要なのは、多くの人が体験的に理解しているはずだ。

 このような「理屈」が反論を受けることは少ない。しかし、ことが「北朝鮮問題」になると様相が変わる。「まずは国交を回復し、相手を十分知った上で、拉致問題の根本的解決を図るべき」という言説が多数派にならない。一方で、「とにかく怖い国、許せない国」といった感情的、感覚的意見がまかり通る。

 国家による「拉致」が言語道断なのは、いまさら言うまでもない。北朝鮮が事実を隠蔽し続けてきた歴史も、忘れてはならない。金正日独裁体制を支持することもできない。

 むろん、日本には、アジアに対する侵略戦争の「罪」がある。北朝鮮の「犯罪」の背景にそうした歴史的経緯があることは認識すべきだ。にしても、考えるべきは、拉致被害者は「個人」であり「国家」ではないということである。国家間の問題に個人を巻き添えにするような蛮行は、いかなる理由があれ許し難い。ある日突然、理由もなく肉親を奪われた人々の思いは、想像にあまりある。その苦しみに同調した多くの市民が、北朝鮮に憤りや不安を感じるのは当然でもあろう。

 だが政府や議員がそれでは困るのだ。日本の将来を考えたら、いたずらに恐怖や復讐心をあおるのは愚行でしかない。戦争責任について、改めてきちんと表明したうえで、国交を結ぶ。その時点で、拉致問題の徹底的な真相究明を強く求める。これこそが、問題解決の最も早道である。

 さらに言えば、拉致問題の解決は、結果としてアジアの安定にもつながるはずだ。こうしたことを、冷静に、理路整然と市民・国民に説くことこそが、政府の責任である。

 ここまで書いて、我ながら何と平板な文章だろうと思った。そして気づく。実は、それくらい当たり前すぎる「私見」であることに。(北村肇)