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自衛隊の国民監視活動がはらむ大いなる矛盾

 自衛隊が国民監視活動をしていた。この事実を知ったとき、不快感や危機感とともに、「内部告発者」に思いを寄せた。「矛盾」に絶えきれなくなったのではないかと想像したのだ。違憲か合憲かはとりあえず脇に置いたとして、自衛隊は「国民」を守るのが仕事だ。だが、かような監視活動は明らかに任務に反する。


 
 情報保全隊がまとめたとされる文書に掲載されていたのは、41都道府県の289団体。監視対象になったのは、「イラク派遣反対」のデモ、集会などで、いずれも憲法21条に保障された「集会の自由」に基づくものだ。何も地下で国家転覆を企てる謀議をしていたわけではない。

 中にはメディア関係者も含まれていた。自衛隊のイラク派兵の際、防衛庁(当時)は報道の自由にさまざまな縛りをかけてきたという。いくつかの新聞社、通信社は最後まで抵抗したとも聞くが、結果的には「従軍報道」を余儀なくされた。「言論・報道の自由」が侵されたとき、民主主義は死ぬ。新聞労連は直ちに批判声明を出したが、すべてのメディアは徹底的に声をあげなくてはならない。

 3年前、市民グループが自衛隊官舎にチラシを配っただけで逮捕されたときは、とうに死滅したはずの「憲兵」という言葉が脳裏をかすめた。情報保全隊はその前年に生まれていたのだ。クモの糸にからめとられていくような窒息感を覚える。

 折から、沖縄の辺野古では海上自衛隊の「ぶんご」が、基地建設反対の市民ににらみをきかせる。当然のことながら、現地では主義主張を超え、「軍隊が島民を守ることのなかった、戦時中の悪夢を甦らせるのか」と激しい怒りが沸き上がっている。
 
 本誌今週号でも特集したが、今年は「復帰35年」の記念年。神経を逆なでするような自衛隊の対応には、「本土」でも批判が相次ぐ。このままでは、自衛隊は国民から遊離していくだろう。そのことへの危惧を抱く隊員は少なくないのではないか。
 
「国民の生命を守る」立場を忘れ、無辜の民を死に追いやった「帝国軍隊」の衣を廃棄してから60年あまり。これほど短期間に、亡霊に足が生えるとは思ってもみなかった。そのことに震えた告発者はたぶん、憲法9条、そして99条を読み直したのだろう。

 自衛隊が「平和」をこわすほどの矛盾はない。(北村肇)