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小選挙区制のもたらす二大政党制が抱える問題点

 わかったようでわからない言葉はいろいろある。「民意を反映する」もその一つ。大ざっぱに分ければ二つの意味があろう。「多数派の意思、価値観を重視する」「少数意見を排除せずに尊重する」。これらは両立する場合もあるし、対立することもある。そしてまた、どちらもが「民主的」とされるのだから複雑だ。

 選挙制度を小選挙区制にすれば死票が増える。前回も今回も総選挙の結果はそのことをまざまざと示した。だが、ある意味で、それは「やむをえない」ことでもある。民主主義の基本の一つは多数決。だから、仮に「51対49」でも「多数派の意思は51」となり、「49」 は”合理的”に無視されてしまう。実はこの例えには落とし穴がある。実際は「51対49」となることは少なく、「40対35対25」のようにばらける。過半数に達しない「40」が絶対多数として、「60」を排除する構図だ。「これも民主主義」と言い切るのは、結構、度胸がいる。

 小選挙区制度のもたらす二大政党制には、常に上述のような「死票」の問題がつきまとう。当然、「少数意見の排除につながる」という批判が出る。しかし私は、それ以上に「独裁」の危惧を抱く。

「構造改革」選挙で圧勝した小泉政権は格差・貧困社会を生み、自民党は退場。社会民主主義的政策を打ち出した民主党が政権を奪った。一見すると、うまく振り子が振れているように思える。だが、たとえば「教育基本法改悪」という結果が残ったことをどう考えればいいのか。
 
 安定多数のまま小泉氏を継いだ安倍晋三政権は、「憲法改正」「教育基本法改正」にこだわった。だが実態は、安倍氏のこだわりであり、与党全体にそこまでの熱意があったようには見えない。ここに二大政党制の陥穽がある。政権をとれば、とりあえずは「独裁」が生じる。しかも小選挙区制度のもとでは、首相や幹事長の権限は極めて大きい。その首相がこだわる政策は、内容のいかんにとどまらず、実現してしまう――という図式である。

「安倍さん個人の資質」と切り捨てることはできない。安倍氏は私利私欲で教育基本法を改悪したわけではないだろう。「国をよくしたい」という思いが基盤にあったはずだ。つまり、政治家の「善意」は必ずしも市民・国民にとってプラスにはならないのである。制度がある以上、「困った人」が実質的な独裁者になってしまう危機感は払拭されない。このことをおさえた上で、選挙制度のあり方を考えたい。(北村肇)