編集長コラム「金曜日から」 編集長のコラムを公開しています。

「小泉劇場」の熱病に冒されたデジタル型社会の日本は、秋風に癒されるのだろうか

 絵の具を使い始めたばかりの子どもが描くような、青一色に入道雲一つの夏もいいが、うっすらとした雲が幾重にも折り重なった、微妙なグラディエーションの秋空に、より風情を感じる。疲れているのだろうか。炎暑はすべての細胞から水分を奪いさり、魂の潤いすらも危うくさせる。今年の残暑は一入だった。

 炎天下、ライオン髪を振り乱し、涸れた声で叫び続ける彼の言葉にあるのは、「黒」と「白」だけだった。さまざまな濃度で味わいをつける「灰色」は、まったく存していなかった。国のゆくえを占う総選挙は小泉首相の「丁半博打」に翻弄され、多くの有権者が勝った負けたの熱病に罹患した。

 総取り状態で、海外メディアに「皇帝」とすら評された小泉首相は、意気揚々と郵政法案成立を宣言し、後継者選びにまで言及した。二者択一の選挙は「自民対民主」ではなく「小泉対反小泉」だった。そのことが、時間がたつにつれ、ますます明確になってきている。有権者は小泉皇帝にすべてを託したのである。たとえそこまでは望んでいなかったとしても、「○」か「×」かの選択とはそういうことだ。

 木陰に潜むひんやりした風に秋を実感し、人々は冷静さを取り戻すだろうか。社会は原色だけでは彩られないことに気づくだろうか。不安は、私たちがデジタル型世界に慣れきってしまったことだ。だからこそ、小泉マジックにも簡単に乗ってしまったのではないか。

「1」と「ゼロ」しかない空間はわかりやすい。一方、永田町にはびこっていた「派閥政治」「建て前」「腹芸」「料亭政治」などはアナログ型だ。わかったようでわからない、顔色と腹の探り合いで、微妙な問題が収まるところに収まっていく。まさしくそこに、負の意味での「灰色の世界」が生まれる。この因習をぶっ壊した、「なんのしがらみもない」小泉首相に支持は集まった。それが今回の選挙結果だろう。

 しかし、もう一つの真実に目をこらさざるをえない。デジタル社会こそ、現代人の疲労の要因にほかならないということだ。「1」と「ゼロ」しかなければ、人は「1」の側に属したいと思う。当然、「勝ち組」になろうとあがけばあがくほど、精神的抑圧は高まり、疲弊感は強まる。皮肉なことに、疲れているが故に、単純な賭博にもはまりやすい。

 デジタル社会では排除されがちな「あいまいさ」。だが、それが時に、癒しとなる。人間も世界も、本質はグラディエーションだ。(北村肇)